『北京的西瓜』(ペキンのすいか)は、1989年公開の日本映画。船橋市郊外のとある八百屋を舞台に、中国人留学生のためにすべての生活を捧げた八百屋夫婦と中国人留学生たちとの交流を描いた、実話を元にした映画[1]。
あらすじ
堀越春三(ベンガル)は千葉県船橋市郊外で八百屋「八百春」を営む。
ある雨の日、一人の中国人留学生が店を訪れるが、日本の野菜は高くて買えず「まけてくれ」と頼む。春三はジャンケンで勝ったら、まけてやると言ってしまう。ジャンケンは留学生の勝ち。10円となった野菜を買い、帰って行く留学生。
ある日、栄養失調になって病院に担ぎこまれる寸前の留学生と再び出会い、事情を聞く。「日本の物価の高さに生活していけない、中国人留学生は皆そうだ」と。そんな留学生達を見かねた春三は、店の野菜を原価以下で販売して援助をして行く。
留学生達は「日本のお父さん」と慕って集まってくる。慕ってくる留学生に対して身を投げ出して献身的に関わるようになるが、やがて店の経営は傾き出し…。
スタッフ
キャスト
映画の中の37秒間の空白
- 映画の中で中国で再会するシーンがあり実話と同じく、当初は1989年7月に中国においてロケが行われる予定だった。しかし、その前月にいわゆる天安門事件(六四天安門事件、1989年6月4日)が起こる。当初中国側からは「スタッフの安全は保証する」とのことだったが、撮影するかしないかの判断を促された結果、中国でのロケは行わないことになる。映画の中では直接この事件に関する出来事も事件に対する批判も一切出てこないが、事件と失われた中国ロケを忘れないために、1989年6月4日を数字にして全部を足した時間(1+9+8+9+6+4=37)の空白が挿入され、画面がまるで事故でも起こったかのように意図的に37秒間ほど真っ白になる。
- 大林は映画のパンフレットの中でこう書いている。「映画とは、画で表現することで、映画になる。しかし、ぼくらの映画に、北京の画は無い。ぼくはそのことを、何も写っていない、素ヌケの、空白のフィルムを北京部分につないでみることで表してみた。しかし、これはもはや映画的表現などではない。〈中略〉これは政治でも報道でもない、映画としての、ぼくたちのギリギリの主張であった」[2]と。
エピソード
- 舞台となった八百屋は空き家となっていた米屋を改装したもの。実際にモデルとなった八百屋の三軒隣に作られた。
- 大林監督は前作『異人たちとの夏』で上手くいった片岡鶴太郎を予定していたが、片岡が売れっ子で半年待ってもスケジュールが空かず、ベンガルの起用となった[3]。
モデルについて
- 神田雑学大学 平成19年8月24日 講座No372「中国、国費留学生4千人とのふれあい」(堀越春三のモデルとなった長谷川勝の講演の再録)[4]
参考文献
脚注
外部リンク
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