佐久間政実
佐久間 政実(さくま まさざね)は、安土桃山時代の武将。豊臣氏の家臣。江戸時代初期の旗本。 略歴佐久間与六郎の子[1]とされるが、この与六郎を『寛政重修諸家譜』では盛明としているが、『尾張群書系図部集』によるとこれは間違いで、この与六郎は盛明の子である家勝をさすという[4]。 文禄3年(1594年)春、伏見城築城の普請奉行の1人となった。 慶長2年(1597年)9月6日、従五位下河内守に叙任された。豊臣姓を下賜された。 慶長5年(1600年)、徳川家康による会津征伐に従い、下野国小山に赴いて以来、徳川氏に仕える。東軍として関ヶ原の戦いに参加した。 徳川家の治世で、普請奉行、伏見町奉行などを歴任した。元和2年(1616年)に没。享年56。 脚注参考文献
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