伊号第四十六潜水艦
伊号第四十六潜水艦(いごうだいよんじゅうろくせんすいかん、旧字体:伊號第四十六潜水艦)は、大日本帝国海軍の潜水艦。伊十六型潜水艦(巡潜丙型)の6番艦[2]。 艦歴1941年(昭和16年)の昭和17年度計画(マル急計画)により、佐世保海軍工廠で1942年(昭和17年)11月21日起工、1943年(昭和18年)5月25日に艦艇類別等級別表に加えられ[2]、6月3日進水、1944年(昭和19年)2月29日に竣工した。横須賀鎮守府籍となり、訓練部隊の第六艦隊第11潜水戦隊に編入されて訓練に従事。 4月2日2145、愛媛県水無瀬沖で訓練のため潜航中、同じく潜航していた呂46と衝突し、潜望鏡が損傷してしまったため修理を受ける。 5月7日、不良箇所が発見され修理を受ける。5月30日に第15潜水隊に編入。 10月19日、伊46は呉を出撃し、フィリピンレイテ島東方沖合に進出する。26日、敵輸送船団を発見したとの報告を最後に消息不明。11月19日に帰投予定だったが、帰ってこなかった[3]。 アメリカ側記録によると、10月28日にフィリピン方面で米ジョン・C・バトラー級護衛駆逐艦「リチャード・M・ローウェル」の攻撃を受け戦没。艦長の山口幸三郎少佐以下乗員112名全員戦死。沈没地点はフィリピン東方沖合、北緯09度45分 東経126度45分 / 北緯9.750度 東経126.750度。 同年12月2日喪失認定[3]、1945年(昭和20年)3月10日除籍[4]。 歴代艦長※『艦長たちの軍艦史』419頁による。 艤装員長
艦長脚注
参考文献
関連項目 |