Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

 

仲澤忠厚

仲澤 忠厚
2008年7月10日 阪神鳴尾浜球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福井県福井市
生年月日 (1982-09-01) 1982年9月1日(42歳)
身長
体重
178 cm
79 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 2000年 ドラフト7位
初出場 2003年4月29日
最終出場 2012年6月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

仲澤 忠厚(なかざわ ただあつ、1982年9月1日 - )は、福井県福井市出身の元プロ野球選手内野手)。

経歴

プロ入り前

敦賀気比高では内海哲也李景一らとともに2年秋(1999年)の福井大会、北信越大会で優勝を果たし、翌年の第72回選抜大会の出場校に選出された。しかし、翌2000年3月2日午前2時25分頃、同校2年生の部員が(卒業する)3年生元部員2人ら6人とともに実家で飲酒した後、無免許飲酒運転で軽自動車に追突する事故を起こし[1]、同校は事故を起こしたことの責任を取って出場を辞退した[2]。また、同じく2年秋の第30回明治神宮野球大会高校の部においては、強力打線の主軸として全試合で安打を打つなど活躍し準優勝。ちなみに秋の県大会、北信越大会においても全試合で安打を打っている。しかし、2000年春に交通事故に遭って退部した[3]。そのため、3年時はジムでの身体作りを行なっていた[3]。背筋力280キログラム以上、50メートル6秒台前半、遠投120メートルといった高い身体能力で走攻守すべてを兼ね備えた超高校級内野手として注目され上位指名確実と言われていた。

2000年度のNPBドラフト会議中日ドラゴンズから7位指名を受けて入団。契約金は3000万円、プロ1年目となる2001年シーズンの年俸は540万円だった[3]

プロ入り後

プロ入り後、2001年から2002年の2年間は一軍出場はなかった。3年目の2003年に一軍へ初昇格し、10試合に出場する。翌2004年は、落合博満監督から右の主砲候補6人の1人として名前を挙げられ、一軍で10試合に出場した。しかし2005年シーズンは一軍へ昇格できずに終わった。

結局中日在籍5年間で20試合のみの出場に留まり10月2日に球団から戦力外通告を受ける。その後12球団合同トライアウトに参加。福岡ソフトバンクホークスからオファーがあり秋季キャンプに参加。11月16日無償トレードでソフトバンクへ移籍。

2006年二軍ウエスタン・リーグ)で打率.406の好成績を残し、46試合に出場。プロ初本塁打も記録した。プレーオフでも活躍し、第2ステージ第2戦では北海道日本ハムファイターズ先発八木智哉からチーム唯一の2安打を放った。しかし3回表1死二塁で二塁走者の時に牽制死。また9回裏に2死一、二塁で稲葉篤紀の中堅に抜けそうな打球を好捕したものの、難しい体勢だったこともあり送球が逸れて二塁セーフ。その間に二塁ランナーの森本稀哲が一気に生還しサヨナラ負け。この瞬間ソフトバンクのプレーオフ敗退が決まった。結果を左右した大きなプレーだっただけに試合後は「最後の守備が…」と絞り出すように話すのがやっとだった。

2007年、二軍の主砲としてウ・リーグ2位の打率.319、6本塁打を記録。内野の全ポジションでそれぞれ10試合以上起用されてユーティリティーぶりを発揮した。しかし、一軍では本多雄一が新たなレギュラーとして定着しており、5試合の出場で無安打に終わった。

2008年4月13日の対埼玉西武ライオンズ戦の九回裏に大沼幸二から左翼越えの適時二塁打を放ち、プロ入り初のサヨナラ安打を記録した。このシーズンは好調で本塁打以外全ての成績で自己最多を記録した。

2009年は開幕直後、負傷離脱の松田宣浩に代わって一軍に招集されたが、1試合出場のみ。二軍でもコンディション不良に苦しんだ。

2010年、二軍で打率.324と好成績を残した。優勝争いの中の9月に一軍に呼ばれた。

2011年、6年ぶりの一軍出場なしに終わった。二軍で規定打席に達したが打率.209と成績を残せなかった。

2012年、一軍で9試合に出場したが、10月7日付で戦力外通告を受けた。その後、11月9日に12球団合同トライアウトを受けたが獲得に乗り出す球団はなかった。

引退後

退団後は2014年7月に田上秀則と共に大阪市内にT-CREWというバーを開業した[4]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2003 中日 10 11 10 1 2 0 0 0 2 0 0 1 1 0 0 0 0 4 1 .200 .200 .200 .400
2004 10 6 6 0 1 0 0 0 1 2 0 0 0 0 0 0 0 2 1 .167 .167 .167 .333
2006 ソフトバンク 46 83 76 10 13 4 1 2 25 9 0 0 3 1 3 0 0 19 2 .171 .200 .329 .529
2007 5 8 8 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
2008 58 157 132 12 32 8 1 0 42 10 0 0 12 2 10 0 1 29 3 .242 .297 .318 .615
2009 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2010 12 9 9 1 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .111 .111 .111 .222
2012 9 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
通算:8年 151 276 242 25 49 12 2 2 71 22 0 1 17 3 13 0 1 58 7 .202 .243 .293 .536

記録

背番号

  • 53 (2001年 - 2005年)
  • 0 (2006年 - 2012年)

脚注

  1. ^ 毎日新聞2000年3月3日30面、同3月8日中部版22面、朝日新聞2000年3月3日38面
  2. ^ 毎日新聞2000年3月8日21面、同中部版22面。
  3. ^ a b c 12球団全選手カラー百科名鑑2001・54頁
  4. ^ 週刊ベースボール』2015年10月26日号、ベースボール・マガジン社、2015年、雑誌20444-10/26,P86-P87。

関連項目

外部リンク

Kembali kehalaman sebelumnya