丸井政亜丸井 政亜(まるい せいあ、1851年2月23日(嘉永4年1月23日[1]) - 1934年(昭和9年)1月19日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階および勲等、功級は正四位・勲二等・功三級[3]。 経歴紀州藩士丸井善朗の長男として紀伊国(現和歌山県)に生まれ、1872年(明治5年)家督を相続する[1]。同年1月、陸軍歩兵中尉に任官する[3]。以来累進し、金州半島兵站司令官として日清戦争に出征したのち[2]、歩兵第5連隊長、台湾守備歩兵第3連隊長を経て、1897年(明治30年)10月、大佐に進んだ[3]。ついで歩兵第30連隊長、歩兵第27連隊長、歩兵第1連隊長を経て、1903年(明治36年)1月、陸軍少将に進級と同時に歩兵第20旅団長に補され日露戦争に出征[3]。大孤山に上陸し、柝木城、海城を攻略[2]。のち第4軍隷下として遼陽、沙河会戦を戦った[2]。奉天会戦直前の1906年(明治39年)2月、後備歩兵第16旅団長に転じ、同年7月に歩兵第25旅団長となった[3]。1909年(明治42年)1月、休職し、同年12月、後備役に編入した[2][3]。昭和9年1月19日卒去。墓所は麻布の長谷寺。 親族脚注参考文献
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