中東直己
中東 直己(なかひがし なおき、1981年10月5日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(外野手・捕手)。2008年6月23日から2009年シーズンまでは中東 直瑛(なかひがし なおてる)の登録名を用いていた。 来歴プロ入り前呉市立仁方小学校1年から軟式野球部に入るが、練習が週末にしかないことに不満を持ち、2年からはソフトボール部へ移った[1]。幼少期からカープのファンで、広島市民球場に通っていた[2]。小早川毅彦が江川卓から打ったサヨナラホームランは強烈な印象があるという。仁方中学校からふたたび軟式野球部に所属し外野を務めた[1]。進学した広島工高では右肩を痛め、満足なプレーができず、卒業したら野球をやめるつもりだった[1]。しかし知人の紹介で3年生の夏に東亜大学硬式野球部の練習に参加し、再び野球の面白さに気付いた[1]。 東亜大学に進学し、外野手として3年春に中国六大学野球リーグ戦で首位打者、春秋ともベストナイン。2003年の大学4年時には1番打者にして捕手としてリーグ戦で活躍し春秋優勝、いずれもリーグMVP、ベストナイン。春の第52回大学選手権準々決勝で準優勝した亜大に4-6で敗れベスト8止まりだったものの、秋の第34回明治神宮大会では準決勝で早大を7-3、決勝で神奈川大を10-9で下し優勝した。第32回日米大学野球日本代表にも選ばれ、打率.421を記録した[1]。大学卒業後、プロを念頭にJR西日本に進み[1]、1年目からレギュラー捕手の座をつかんだが、野球部は休部を余儀なくされ、ホンダ鈴鹿に移籍[1]。ホンダ鈴鹿では主に1番・センターで起用され、俊足に加え長打力のある切り込み隊長としてチームの都市対抗野球大会出場に貢献した[1]。 広島時代2007年は外野手登録ではあるが、オープン戦では捕手としても出場した。オープン戦で牽制で一塁に帰塁する際に右手の指を捻挫し、開幕一軍を逃すが、4月14日の中日ドラゴンズ戦に代打で初出場。翌4月15日の試合で8回から捕手として守備に就く。4月17日対読売ジャイアンツ戦(スカイマークスタジアム)でプロ初スタメン。プロ初安打はならなかったが、プロ初打点を記録した。9回裏2死2塁の場面で李承燁のセンターフライを落球した(チームは勝利)。7月19日に行われたフレッシュオールスターでは初回先頭打者としてヒットで出塁。その後立て続けに二盗、三盗と決め、三盗時に捕手の悪送球でホームインし、MVPを獲得した。しかしその後の打席でファウルを打った際に骨折した。二軍では打率.394で、17試合で9盗塁を決めた。 2008年は開幕一軍入りを果たすもすぐに二軍降格。4月末に二軍の試合で右手の甲を痛めて戦線離脱。故障続きのため、心機一転、6月23日に登録名を中東直己から「中東直瑛」に改名した[1]。秋から層の厚い外野に対して、手薄な捕手を主体に行くこととなり本格的に捕手の練習を行った[3]。 2009年も前年同様開幕一軍だったが、1試合の出場で降格。再昇格は無かった。 2010年は再び外野手登録となり、登録名も本名の「中東直己」に戻した[1]。 2011年は背番号を「00」に変更。シーズン中盤以降守備・代走要員として一軍に定着し、自己最多となる64試合に出場した。8月14日の巨人戦(東京ドーム)では、4年ぶりに一軍の試合で捕手を務めた。代走として出場した8月30日のヤクルト戦では、勝ち越し点となる好走塁を見せた[4]。 2013年はシーズン初スタメン出場となる5月8日の横浜DeNAベイスターズ戦で走塁で勝利に貢献し、自身初となるヒーローインタビューを受けた[6]。その後5月12日の中日ドラゴンズ戦では途中出場して勝ち越し打を放ち[7]、さらに5月14日の福岡ソフトバンクホークス戦ではプロ初本塁打を打ったことで、1週間の間に3回のヒーローインタビューを受けることになった[8]。 2014年も主に守備・代走要員として一軍に定着し、2011年の64試合を上回る自己最多の86試合に出場した。12月12日には、広島HOMEテレビ『鯉のはなシアター』の「中東直己と赤き球場 〜時を越えた30年の想い〜 」に出演した。 2015年はわずか9試合の出場に終わり、3打数無安打だった。 2016年には、一軍公式戦への出場機会がないまま、10月3日に球団から戦力外通告を受けた[9]。12月2日、自由契約公示された[10]。 広島退団後NPB他球団での現役続行を希望したため、2016年11月12日には、甲子園球場で開催の12球団合同トライアウトに参加。シートバッティング形式の対戦では、5人の投手を相手に5打数2安打という結果を残した。また、他の対戦中には、本職の捕手としてマスクを被った[11]。 獲得の意思を示す球団がなかったことから、現役を引退した。 引退後2017年2月からは広島OBで先輩の山本浩二の紹介で[12]、広島県内の一般企業に勤務することを本人がtwitter上で公表した[13]。 2017年には勤務先でもある株式会社大和興産のテレビコマーシャルに出演し、ウルトラマン(初代)や同シリーズの怪獣とも共演した他、同社の公式ブログにも社員として寄稿することがある[14]。 選手としての特徴・人物俊足を生かした堅実な外野守備に加え、捕手もこなす万能選手[15][12]。打撃では速い直球に強かった[16]。現役時代は主に貴重なスーパーサブとして活躍した[17]。 明るく前向きな性格であり、雨天コールドになった試合では上本崇司と共にAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」の曲に合わせて踊り、ファンを楽しませていた[12]。 現役時代の一番の思い出として、2011年8月30日のヤクルト戦を挙げている[12]。この試合では2-2の延長十回2死から二塁ランナーの代走で出場し、相手投手の暴投で、二塁から一気に勝ち越しの本塁を奪った[12]。この事について、武器である俊足を生かしてチームの勝利に初めて貢献できたことが印象強く残っているという[12]。 現役時代は毎年キャンプの期間に入ると、中東の母親が手作りのいちご大福を差し入れ、チームメイトからは「勝利を呼ぶ」と言われていた[18]。2013年には約200個がキャンプ地へ届けられている[18]。また、そのレシピがNHKのEテレで放送されている番組「グレーテルのかまど」で取り上げられた[18]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
表彰
記録
背番号
登録名
脚注
関連項目外部リンク
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