三村起一三村 起一(みむら きいち、1887年8月15日 - 1972年1月28日)は、日本の実業家。住友鉱業(現住友金属鉱山)初代社長、石油開発公団初代総裁などを歴任。 来歴・人物東京・銀座尾張町出身。実父の山口慎、養父の三村直ともに旧信濃上田藩士。第一高等学校を経て、1914年(大正3年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、同年住友総本店入社に入社する。住友伸銅所勤務を経て、1919年(大正8年)~1921年(大正10年)欧米出張。1931年(昭和6年)住友伸銅鋼管取締役、1932年(昭和7年)住友別子鉱山常務、専務を経て、1941年(昭和16年)住友鉱業(現住友金属鉱山)初代社長、同年住友本社理事。この間住友機械製作(現住友重機械工業)、大日本産業報国会理事などの役員を兼務。 1946年(昭和21年)公職追放前に住友系その他の役職一切を辞任[1]。同年鴨川加工、1953年(昭和28年)日本冶金工業各社長に就任。 1955年(昭和30年)石油資源開発初代社長。以降北スマトラ石油開発協力初代会長、石油鉱業連盟会長、1967年(昭和42年)10月石油開発公団(のちの石油公団)初代総裁を歴任。 また産業災害防止対策審議会会長、中央労働災害防止協会会長、日経連理事、経団連常任理事などを務めた。労務管理、工場安全運動などの草分け的存在で、著書に「住友工場協議会十年の足跡」がある。 脚注 |