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ヴィンチェンツォ・モンテッラ

ヴィンチェンツォ・モンテッラ
フィオレンティーナ監督時代(2015年)
名前
愛称 小型飛行機、トップガン
ラテン文字 Vincenzo MONTELLA
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1974-06-18) 1974年6月18日(50歳)
出身地 ポミリアーノ・ダルコ
身長 172cm
体重 68kg
選手情報
ポジション FW (CF)
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1995 イタリアの旗 エンポリ 51 (26)
1995-1996 イタリアの旗 ジェノア 34 (21)
1996-1999 イタリアの旗 サンプドリア 83 (54)
1999-2009 イタリアの旗 ローマ 192 (84)
2007 イングランドの旗 フラム (loan) 10 (2)
2007-2008 イタリアの旗 サンプドリア (loan) 13 (4)
通算 383 (191)
代表歴
1999-2005 イタリアの旗 イタリア 20 (5)
監督歴
2011 イタリアの旗 ASローマ (暫定)
2011-2012 イタリアの旗 カターニア
2012-2015 イタリアの旗 フィオレンティーナ
2015-2016 イタリアの旗 サンプドリア
2016-2017 イタリアの旗 ACミラン
2017-2018 スペインの旗 セビージャ
2019 イタリアの旗 フィオレンティーナ
2021-2023 トルコの旗 アダナ・デミルスポル
2023- トルコの旗 トルコ代表
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヴィンチェンツォ・モンテッラ(Vincenzo Montella, 1974年6月18日 - )は、イタリアカンパニア州ポミリアーノ・ダルコ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。元イタリア代表。ポジションはフォワード

選手経歴

1987年、エンポリFCのユースチームのトライアルを受けて、エンポリに入団、1990-91シーズンにトップチームにでデビューした[1]。1995年、当時セリエBのジェノアCFCにエンポリとの共同保有という形で移籍した[1]。このシーズン21得点を決めた。

1996-97シーズンにUCサンプドリアへ移籍。9月22日、リーグ3節のASローマ戦でセリエA初ゴールと2点目を決めた[1]ロベルト・マンチーニとツートップを組んで、セリエA初年度でありながら28試合で22得点を記録した。翌1997-98シーズン、マンチーニが抜けたが、12月21日、リーグ13節のSSCナポリ戦でのハットトリックを含め、リーグ戦33試合で20得点を挙げた。1998-99シーズンこそ怪我で多くの試合を欠場したが、3月21日、リーグ26節のインテル戦でハットトリックを決めるなど、22試合で12得点を決めた。サンプドリアでは通算116試合で66得点を記録した[2]

1999年にASローマへ移籍。1999-00シーズン、移籍初年度2度のハットトリックを決めるなどなど、リーグ戦で18ゴールを挙げた[3]。ローマでの3シーズン目以降は怪我もあって控えに回ることも多かったが、高い決定力でスーパーサブとして活躍した。2000-01シーズン、5月6日、ユヴェントスFCと激しい優勝争いをしている中で迎えた、ユヴェントスとの直接対決では、1-2とリードを許す中、中田英寿のシュートのこぼれ球を押し込んで2-2とする同点ゴールを決め、勝ち点1を獲得、この勝ち点1が大きくものを言い、チームはリーグ優勝を決めた[2]。このシーズンのリーグ戦で11ゴールを挙げ、ローマの18年ぶりのスクデット獲得に貢献[1]。2001-02シーズン、3月10日、SSラツィオとのローマダービーでは4ゴールを決めた[1]。2004-05シーズンは好調で得点王こそ逃したもののリーグ3位の21得点を挙げた。2006-07シーズン途中に半期のレンタルでプレミアリーグのフラムFCに移籍し、自身初の海外でのプレーを経験した後、レンタルでサンプドリアへ複帰。 2009年7月2日、ローマで現役を引退した。

イタリア代表としては、チェーザレ・マルディーニ監督時代にはチームでゴールを量産しながらも、1度も召集されず、ディノ・ゾフ監督就任後の1999年6月5日のウェールズ戦でようやく代表デビューを果たした[4]UEFA欧州選手権20002002年FIFAワールドカップに出場するも、厚いFW陣の中にあって、いずれも1試合に起用されたのみに終わり、活躍の機会は少なかった。

指導者経歴

ASローマ暫定監督時代(2010年)
ACミラン監督時代(2016年)

引退後、ローマの下部組織の監督に就任した。

2011年2月21日、トップチームのクラウディオ・ラニエリ監督が成績不振で解任され、その後任監督に就任した。就任時から順位を2つ上げて6位で2010-11シーズンを終え、シーズン終了後に契約満了で退任した。

2011年6月9日カルチョ・カターニア監督に就任した[5]。カターニアを11位で残留に導いた。

その実績が認められ、古巣ローマから監督就任の打診があったものの、2012年6月11日ACFフィオレンティーナ監督に就任。多くの新加入選手を迎えてのシーズンとなったが、中位に低迷していたクラブをスペイン流の攻撃的サッカーで躍進させ、3年連続で4位に導き、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。その活躍から、アントニオ・コンテらとともにイタリアを担う次世代の名将候補として注目を浴びている。

2015年6月8日、フロントとの関係悪化によりフィオレンティーナの監督を解任された[6]

2016年6月29日、ACミランの新監督に就任し、同年イタリア・スーパーカップで優勝を果たし、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。2017-18シーズンは、チームが大型補強を行ったものの、第14節終了時点で7位と低迷し、2017年11月27日に監督を解任された[7][8]

2017年12月28日セビージャFCの監督に就任[9]

2018年4月28日、国王杯では決勝進出、チャンピオンズリーグではベスト8と結果を残したものの、リーガでの成績低迷を受けセビージャFCの監督を解任された[10]

2019年4月10日、ACFフィオレンティーナの監督に4年ぶりに復帰した[11]。しかし、第17節終了時点で14位と低迷し、12月21日に解任された[12]

2021年9月1日、トルコアダナ・デミルスポル監督に就任。2年契約を結んだ[13][14]

2023年9月21日、サッカー日本代表との国際試合に敗れて解任されたステファン・クンツの後任として、サッカートルコ代表監督に就任。3年契約を結んだ[15]

人物

得点を挙げることに対して貪欲であるだけでなくテクニックも高い。ローマで共にプレーした中田英寿が「ローマで一番テクニックのある選手」と評したこともある。元日本代表大黒将志もプレースタイルを参考にしていると語っている。[要出典] 得点を決めた後に両手を広げてピッチを駆け回る「飛行機」のパフォーマンスで知られ「アエロプラニーノ(小型飛行機)」の愛称を持つ。

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1990-91 エンポリ セリエC1 1 0
1991-92 7 4
1992-93 13 5
1993-94 0 0
1994-95 セリエB 30 17
1995-96 ジェノア 34 21
1996-97 サンプドリア 9 セリエA 28 22
1997-98 33 20
1998-99 22 12
1999-00 ローマ 31 18
2000-01 28 13
2001-02 19 13
2002-03 29 9
2003-04 11 5
2004-05 37 21
2005-06 13 1
2006-07 12 3
イングランド リーグ戦 FLカップFAカップ 期間通算
2006-07 フルハム 11 プレミアリーグ 10 2
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
2007-08 サンプドリア 9 セリエA 13 4
2008-09 ローマ 23 12 0
通算 イタリア セリエA 373 188
イングランド プレミアリーグ 10 2
総通算 383 190

試合数

国際Aマッチ 20試合 3得点(1999年-2005年)


イタリア代表国際Aマッチ
出場得点
1999 2 0
2000 5 0
2001 4 1
2002 7 2
2003 - -
2004 1 0
2005 1 0
通算 20 3

監督成績

2019年12月20日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
ローマ (暫定) 2011年2月21日 2011年6月1日 16 7 4 5 22 21 +1 043.75
カターニア 2011年6月9日 2012年6月5日 40 12 15 13 51 56 −5 030.00
フィオレンティーナ 2011年6月11日 2015年6月8日 153 81 32 40 258 167 +91 052.94
サンプドリア 2015年11月15日 2016年6月28日 27 6 6 15 29 46 −17 022.22
ミラン 2016年6月28日 2017年11月27日 64 32 14 18 103 71 +32 050.00
セビージャ 2017年12月28日 2018年4月28日 28 11 7 10 37 44 −7 039.29
フィオレンティーナ 2019年4月10日 2019年12月21日 27 6 7 14 28 37 −9 022.22
合計 355 155 85 115 528 442 +86 043.66

タイトル

選手

ASローマ

監督

ACミラン

脚注

  1. ^ a b c d e VINCENZO MONTELLA”. ASROMA. 2023年10月1日閲覧。
  2. ^ a b HISTORY MAKERS: VINCENZO MONTELLA”. ASROMA (2021年6月18日). 2023年10月1日閲覧。
  3. ^ VINCENZO MONTELLA”. Transfermarkt. 2023年10月1日閲覧。
  4. ^ Vincenzo Montella”. Transfermarkt. 2023年10月1日閲覧。
  5. ^ カターニアの新監督にモンテッラ氏UEFA.com、2011年6月9日
  6. ^ フィオレンティーナが監督交代を決断、モンテッラを解任Goal、2015年6月9日
  7. ^ COMUNICATO UFFICIALE: VINCENZO MONTELLA”. acmilan (2017年11月27日). 2019年5月31日閲覧。
  8. ^ 不振ミラン、モンテッラ監督を解任。後任は下部組織率いるガットゥーゾに”. www.footballchannel.jp. 2019年5月31日閲覧。
  9. ^ VINCENZO MONTELLA: EL GOLEADOR QUE DESPUNTA EN LOS BANQUILLOS DEL CALCIO”. www.sevillafc.es. 2019年5月31日閲覧。
  10. ^ SEVILLA FC DISMISS VINCENZO MONTELLA”. www.sevillafc.es (2018年4月28日). 2019年5月31日閲覧。
  11. ^ Montella appointed as Fiorentina coach” (イタリア語). en.violachannel.tv. 2019年6月1日閲覧。
  12. ^ VINCENZO MONTELLA NON È PIÙ L’ALLENATORE DELLA FIORENTINA” (イタリア語). ACF Fiorentina (2019年12月21日). 2019年12月21日閲覧。
  13. ^ "Kulübümüz daha önce Fiorentina, Sevilla, Milan, Sampdoria ve Roma takımlarını çalıştıran teknik direktör Vincenzo Montella ile 2 yıllık anlaşma imzalamıştır" (Press release). Adana Demirspor. 1 September 2021. 2021年9月1日閲覧
  14. ^ モンテッラ、トルコのアダナ・デミルスポル監督就任”. 超ワールドサッカー (2021年9月1日). 2021年9月2日閲覧。
  15. ^ 日本に敗れ指揮官交代決断のトルコ代表、モンテッラ監督就任を発表!01年には中田英寿らとスクデット獲得 | Goal.com 日本”. www.goal.com (2023年9月22日). 2023年10月13日閲覧。
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