レスラー (映画)
『レスラー』(原題: The Wrestler)は、2008年公開のアメリカ映画。かつてスターだった中年のプロレスラー(ミッキー・ローク)が、試合後に心臓発作で倒れ、医師から引退を宣告され、自身の人生を見つめ直す物語。ヴェネツィア映画祭金獅子賞、ゴールデングローブ主演男優賞受賞。 あらすじ1980年代に人気レスラーだったランディだが、二十数年経った現在はスーパーでアルバイトをしながら辛うじてプロレスを続け、想いを寄せるキャシディに会うためにストリップクラブを訪ねる孤独な日々を送っている。ある日、往年の名勝負と言われたジ・アヤトラー戦の20周年記念試合が決定する。メジャー団体への復帰チャンスと意気揚がるランディだったが、長年のステロイド剤使用が祟り心臓発作を起こし倒れてしまう。現役続行を断念したランディは、長年疎遠であった一人娘のステファニーとの関係を修復し、新しい人生を始める決意をするが、バーで出会った女とセックスとコカインにふけったせいで食事の約束を寝過ごしてしまい、ステファニーに絶縁されてしまう。 スーパーの肉売り場で働き始めたランディであったが、元プロレスラーであることに気付いた客の一人に動揺させられ、スライサーで手を怪我する。やけになったランディは仕事をやめてしまう。家族と仕事を失ったランディは、アヤトラー戦でレスラーに復帰することを決意する。 会場にはランディの体を心配してキャシディが駆けつけたが、リングの中だけが俺の世界だと制止を振り切ってリングに上る。試合中に体調が悪化したランディを気遣ってアヤトラーはピンフォールするように耳元で囁くが、ランディはそれを無視して必殺技の「ラム・ジャム」をファンに披露するためにリングコーナーによじ登り、飛び降りる。 キャスト
製作当初、製作会社はニコラス・ケイジのような大物を主演俳優に起用することを条件に予算の大幅な増加を監督のダーレン・アロノフスキーに持ちかけたが、アロノフスキーは自分が選んだミッキー・ロークを主演に据えることを強硬に主張し譲らず、その結果、映画はわずか600万ドルという低予算で製作された[2][3][4][5][6][7]。一方、元ボクサーのロークは、当初、プロレスは振り付けでしかないと考えており、レスラーを尊敬できなかったが、撮影を通してそのような考え方は変わったという[4]。ロークは、70年代80年代に活躍したプロレスラーのアファ・アノアイから3ヶ月間の訓練を受けた[8]。アロノフスキーは、ロークの肉体を、ドキュメンタリーのような生々しい手持ちカメラの映像で映し出した[9]。アロノフスキーは、「映像スタイルは素材次第。この物語ではミッキーが自由に動ける遊び場のようにしたかった」と語った[9]。 プロレスシーンなどでは、ネクロ・ブッチャーをはじめ、20人を越すプロレスラーを登場させた[10]。またプロレス団体ROHも会場等で協力した。 プロモーション映画公開を記念して、WWEではクリス・ジェリコによるミッキー・ローク批判(もちろんアングルである)に端を発する、ジェリコ対レジェンド(リック・フレアー、リッキー・スティムボート、ジミー・スヌーカ、ロディ・パイパー)の抗争ストーリーが組まれ、ロークもジェリコと番組内で毒舌戦を展開。2009年4月のレッスルマニア25ではジェリコの挑発に乗ってロークはリングに上がり、ジェリコをパンチでKOした。 日本での公開日は、2009年6月13日になった[11]。 音楽主題歌
挿入歌
評価興行収入はアメリカ国内だけで$26,238,243となり[1]、制作費の4倍以上となった。全米週末興行収入成績の最高位は14位であった(2009年1月23日-25日付)。 作品全体は、第65回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を筆頭に[12]、54個の賞を受賞した[13]。ヴェネツィア国際映画祭の授賞式で、審査員長のヴィム・ヴェンダースは、ミッキー・ロークの演技を「胸が張り裂けそうになるほどの演技」と評価した[9]。一方、ロークがだらしない服装で壇上に上がり下品な言葉遣いをしたことは、ベンダースから「非常に悲しいパフォーマンス」と批判された[14]。主演のロークは、第66回ゴールデングローブ賞主演男優賞を筆頭に[15]、各地の映画祭で主演男優賞として22回表彰された[13]。ゴールデングローブでは主演男優賞以外にも歌曲賞を受賞し、第81回アカデミー賞では主演男優賞[16]と助演女優賞にノミネートされた。 映画批評家からは高い評価が得られた。毎日新聞の矢部明洋は、ローク演じるランディと対戦相手が試合内容及びフィニッシュホールドへの流れを控え室で打ち合わせたり、さらには肉体改造のためステロイド剤や苦痛を和らげる目的の鎮痛剤をはじめとする大量の薬物を購入する光景など、バックステージでのレスラーの赤裸々な描写が最大の見ものとし、痛々しい老レスラーの生態は華麗なショービジネスの残酷な内幕を告発し、その筋肉でおおわれた肉体は商業主義と虚栄に踊らされる現代社会の象徴だと論じた[17]。読売新聞の恩田泰子は、ランディの姿にロークの人生を重ね合わせずにいられないとし、ロークの演技は、ドキュメンタリーのようでもあり、俳優の負の軌跡を鮮やかに役へと昇華した、貴重で美しい映画だとした[10]。映画評論家の稲垣都々世はロークの演技に完全にノックアウトされたという[18]。スポーツ報知の関野亨は、自身の栄光と転落の俳優人生をレスラーに重ね、老いも格好悪さもすべてさらけ出しての熱演であり、ロークの完全復活作だとした[18]。読売新聞の満田育子は、ありきたりの大団円ではない、余韻を残した終わり方を評価した[19]。プロレスに関する著作の多い作家の村松友視は、プロレスの虚実と人生の虚実とを同時に描き切った初めての作品だとした[20]。プロレスオタクを自認する作家の深町秋生は、作品はプロレスやレスラーに対する愛や敬意にあふれているとし、肉体の限界が来てもリングにあがるランディの姿を、全人類の罪を背負い、究極の責め苦を受けたと言われるキリストになぞらえた[21]。 劇中、ジ・アヤトラー(イスラム教シーア派の指導者の尊称)がイランの国旗でランディの首をしめようとするシーンに対し、イラン政府の高官が米国に抗議する事態となり、イラン国内では上映禁止となった[22][23]。 参照
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