ユキノビジン
ユキノビジン(欧字名:Yukino Bijin、1990年3月10日 - 2016年7月22日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬[1]。主な勝ち鞍に1993年のクイーンステークス。同年の桜花賞と優駿牝馬では、2戦ともベガの2着となった。 父サクラユタカオーに似た栗毛の馬体に純白のリボン風の編み込みを鬣に着けていたことから女性ファンからの人気が高く、「美少女」「グッドルッキングホース」とも形容された[2][4]。 戦績1992年8月10日、盛岡競馬場で小野寺雅彦を鞍上にデビューし、デビュー勝ちを収める[5]。のちに地方競馬出身が大きくクローズアップされることになるが、もともとは初めから中央に入厩する予定だったものの、受け入れ予定だった久保田敏夫厩舎の馬房にたまたま空きがなく、またオーナーである荒井幸勝が「3歳時はダートを使う」という意向を示したこともあり、「久保田厩舎の馬房に空きが出るまで」という条件で岩手競馬からのデビューとなった[6][4]。このことをライターの松永玲子は「地方の腰かけマドンナ」と表現している[6]。鞍上が菅原勲に代わった2戦目と3戦目も勝って3連勝として南部駒賞に出走するも、レースでは4歳時に不来方賞などを制するエビスサクラ[7]の5着に終わる[5]。 4歳になり改めて中央に転厩。移籍初戦はクロッカスステークスだったが10頭立ての9番人気と評価は低く、またオーナーサイドによる「中央に転厩後は岡部幸雄を鞍上に」というプランもこの時点では実現せず安田富男の騎乗となった[8]。レースでは低評価を覆し、2着ビコーアルファーを3馬身離して逃げ切り、中央初戦を勝ち上がった[8][5]。次走は間隔が開いて4月の桜花賞となり、5番人気で迎えたレースではベガとタイム差なしの2着に入り、続く優駿牝馬でも先行してベガの牝馬二冠を許したものの連続2着に入った[5]。この4歳春の時期は股関節の状態が思わしくなく、そのような中でベガと接戦を演じたことから、状態さえ好転すれば更なる飛躍があると示唆されていた[9]。優駿牝馬ののちはラジオたんぱ賞出走のプランもあったが休養に入り[10]、秋はクイーンステークスから始動してホクトベガに2馬身差をつけて勝ち、1番人気に応える[5]。岡部に乗り替わって初戦のエリザベス女王杯はホクトベガの10着に崩れたものの、年末のターコイズステークスではアルファキュートを1馬身2分の1抑えて勝利を挙げた[5]。その後は左前脚の繋部分の骨折もあって一度も出走することなく[11]、1994年9月に登録を抹消されて繁殖牝馬となった[12]。 競走成績以下の内容は、JBISサーチ[13]およびnetkeiba.com[14]に基づく。
繁殖牝馬時代引退後は村田牧場で繁殖生活に入り、15年間で牡馬9頭、牝馬3頭の計12頭の産駒を送り出した[12]。しかし、中央・地方を通じて重賞勝ち馬は出せずじまいに終わった。受胎率は良いものの爪が悪く、身重になると脚が痛くなるため、2010年で繁殖生活を引退し、その後は功労馬として引き続き村田牧場で過ごしていた[12]。2016年に入り、例年だと毛づやがよくなる時期にもなかなか回復せず、7月22日に放牧地で老衰のため亡くなった[2]。26歳没。 2018年春、同じ村田牧場生産馬で南関東牝馬三冠を達成したチャームアスリープが繁殖シーズンを前に事故死したのに伴い、ファンへの返礼の意味も込めて優駿メモリアルパークにチャームアスリープのものと同時に馬碑が設置された[15]。 産駒一覧
血統表
出典
参考文献
外部リンク
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