ミスタープロスペクター
ミスタープロスペクター (Mr. Prospector) はアメリカ合衆国の競走馬。競走馬としては大成できなかったが、種牡馬としては20世紀末でもっとも成功しミスタープロスペクター系を築いた。 来歴母ゴールドディガー(金鉱採掘者)にちなんでミスタープロスペクター(探鉱者)と名づけられた。 セクレタリアトと同世代だがミスタープロスペクターは出世が遅く大競走に出ていないためセクレタリアトとは一度も対戦することはなかった。競走成績は14戦7勝。短距離の競走で2度のレコードを出したが重賞は2度の2着がある程度で勝つことはできなかった。 そして、マイル以上の距離では低調なパフォーマンスだったことから生粋のスプリンターであったことが窺える。 種牡馬入り直後の産駒には小粒な早熟短距離馬が多かったが、1979年には2歳リーディングサイアーとなり、1982年にはコンキスタドールシエロがベルモントステークスを制した。その後、供用地がケンタッキー州に移った頃からクラシックホースを含む大物を出し始め、また産駒も種牡馬として成功し始めた。1987 - 1988年にはリーディングサイアーとなり、大種牡馬としての地位を確立した。タフな種牡馬としても知られ、29歳で死亡した1999年にも種付けをこなしていた。1999年6月1日、疝痛によって死亡した。 子孫はダートの比較的長いところを得意とし、北米のクラシック路線で特に強い[1]。北米でのシェアは、2014年のステークス勝ち数で34%[2]、2016年の種付け数で30%[3]。いずれもノーザンダンサー系(全体)に肉薄する。北米三冠レースに限定すれば、1995-2014年の20年間の勝ち数の約6割をミスタープロスペクター系が占め、ノーザンダンサー系の17%、ボールドルーラー系の10%を大幅に引き離して他系統を圧倒している[1]。特に長距離のベルモントステークスでは7割というかなり高い占有率である。一方で、北米の2歳線や短距離路線はノーザンダンサー系(特にストームバード系)がそのニッチを占めているため相対的にはやや弱い。 代表産駒
血統構成
血統表
脚注
外部リンク
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