ブルサスポル
ブルサスポル・クリュビュ・デルネイ(Bursaspor Kulübü Derneği (トルコ語発音: [buɾsaspoɾ kulyby dæɾneji]))、通称ブルサスポル(Bursaspor)は、トルコ北西部の都市ブルサを本拠地とする総合スポーツクラブ、本項目ではサッカー部門について述べる。 歴史アジャル・イドマン・ユルドゥ(Acar İdman Yurdu)、アキンスポル(Akinspor)、チェリクスポル(Çelikspor)、イスティクラル(İstiklal)、プナルスポル(Pınarspor)が合併して1963年6月1日に設立された。クラブカラーには緑と白が選ばれ、1963年の2部リーグに参加した。9月21日にイズミルで行われたデミルスポル戦が初試合となった。1966-67シーズンの2部リーグ30試合のうち19勝して勝ち点45を獲得し、2位のサムスンスポルに勝ち点8差をつけて優勝し、シュペルリガ(1部)に昇格した。1971年、総理大臣杯決勝のフェネルバフチェ戦でロスタイムに決勝点を決め、初タイトル(2部リーグ優勝を除く)を獲得した。 1973-74シーズンはフェネルバフチェがリーグとカップの2冠を達成したため、カップ戦準優勝だったブルサスポルが1974-75シーズンのUEFAカップウィナーズカップの出場権を得た。アイルランドのフィン・ハープスFC、スコットランドのダンディー・ユナイテッドFCを破って準々決勝に進出し、この大会で優勝したFCディナモ・キーウに敗れた。1985-86シーズンと1986-87シーズンは2部リーグにいたが、1986年にアルタイSKを2-0で破ってトルコ・カップ初優勝を果たし、評議会で昇格が認められ、シュペルリガ昇格を果たした。1986-87シーズンのUEFAカップウィナーズカップでは1回戦でアヤックス・アムステルダム(同大会優勝)と当たり、2試合合計0-7で大敗した。1995年にはUEFAインタートトカップに出場したが、準々決勝でカールスルーエSCに敗れた。2004年に2部リーグに降格したが、2006年にシュペルリガに昇格した。 2009年1月にエルトゥールル・サーラム監督が就任し、2008-09シーズンは6位で終えた。リーグ戦3位以内でシーズンを終えたことはなかったが、2009-10シーズンは勝ち点75を獲得してフェネルバフチェを勝ち点1上回り、初優勝を果たした。フェネルバフチェやベシクタシュJKとのアウェー戦に3-2で勝利し、トルコリーグ3強(ガラタサライSK、フェネルバフチェ、ベシクタシュJK)との対戦で4勝1分1敗の好成績を残したことが優勝につながった[3]。イスタンブール以外に本拠地を置くクラブのリーグ制覇は1983-84シーズンのトラブゾンスポル以来であった。オザン・イペクとパブロ・バタージャが8得点でチーム内得点王に輝いた。 しかし、2010年代後半になると、多額の負債によって財政難に追い込まれた[4]。2018-19シーズンは最終節で敗れ16位に沈み、TFF1.リグへの降格が決まった[5]。2021-22シーズンは17位となり、TFF2.リグへの降格が決まった[6]。 スタジアム1979年から現在のブルサ・アタトゥルク・スタジアムを使用していたが、2011年に2015年6月の完成を目標に新スタジアム「ティムサー・アレーナ」の建設が開始された[7][8]。現在はティムサー・アレーナを本拠地としており、スタジアムはクラブマスコットである「ワニ」をモチーフにしたものとなっている[9]。 タイトル国内タイトル
国際タイトル
過去の成績
欧州の成績
現所属メンバー注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
ローン移籍選手
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
歴代監督
歴代所属選手→詳細は「Category:ブルサスポルの選手」を参照
脚注
外部リンク |