バージニア権利章典バージニア権利章典(バージニアけんりしょうてん、英:Virginia Bill of Rights)は、1776年に起草された文書であり、不相当な政府に対する反逆の権利を含み、人間に本来備わっている自然権を初めて宣言したもの。バージニア権利宣言(Virginia Declaration of Rights)とも呼ばれる。この章典は1776年6月12日のバージニア会議で全会一致で採択されたものであり、6月29日に採択されたバージニア憲法とは別の文書である[1]。後にバージニア州憲法に第1条として組み入れられ、いくらか最新の形にしたものがバージニア憲法に入っており、今日でも法的に有効である。この章典は後の多くの文書に影響を与えた。例えば、1776年のアメリカ独立宣言、1789年のアメリカ権利章典、および1789年のフランス革命における人間と市民の権利の宣言があげられる。 バージニア権利章典は当初、1776年5月20日頃から5月26日にジョージ・メイソンによって起こされ、後にトマス・ルドウェル・リーと会議によって政府を作る権利に付いて第13節を加えて修正された。メイソンは1689年のイギリス権利の章典のようなそれ以前にあったものに記述された市民の権利に基づいて草稿を書いており、この章典は北アメリカ市民にとって初めて近代憲法で個々の権利を保護したと考えられる。イギリス権利章典に書かれている議会と貴族院の議員のような特権的政治階級や世襲の役職という概念は拒否した。 この章典は「政府の根拠と基礎として〔…〕バージニアの人民に付随する」権利を主題として16か条から構成されている[2]。生命、自由および財産の自然権について固有の性質を確認することに加え、人民に対する僕としての政府という考え方について述べ、また政府の権限に関して様々な制限を列挙している。 内容第1条から第3条は、政府と統治される者の間の権利と関係を主題としている。第1条は「すべて人は生来ひとしく自由かつ独立しており、一定の生来の〔…〕奪うことのできない権利を有する。すなわち、財産を所得所有し、幸福と安寧とを追求獲得する手段を伴って、生命と自由とを享受する」[3]権利としており、これは後にアメリカ独立宣言の第1節に取り入れられて国際的に有名となった。アメリカ独立宣言は「われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由および幸福の追求の含まれることを信じる。」[4]としている。 第2条と第3条は革命の概念を記しており、「すべて権力は人民に存し、したがって人民に由来するものである。」[3]とし、「いかなる政府でも、それがこれらの目的に反するか、あるいは不じゅうぶんであることがみとめられた場合には、社会の多数のものは、その政府を改良し、変改し、あるいは廃止する権利を有する。この権利は疑う余地のない、人に譲ることのできない、また棄てることのできないものである。ただし、この権利の行使方法は公共の福祉に最もよく貢献し得ると判断されるものでなければならない。」[3]とした。この後半はバージニアの人民がイギリス帝国に対して革命を起こすことができる権利を有効に主張した。 第4条は全ての市民の平等を主張し、特権的政治階級や世襲的役職という考え方を拒否し、イギリスの貴族院や貴族の特権のような制度を批判している。「いかなる個人、また個人の集団も、公職の報酬としての他に、社会から独占的ないし別箇の報酬、あるいは特権をうける権利はない。またそのような公職は相続され得るものではなく、行政官、立法部議員、判事の職は世襲的であってはならない。」[3] 第5条と第6条は権力の分離の原則と、行政官と立法部議員の「一定にしてかつ正規で」自由な選挙を「しばしば行うこと」を薦めている。「国家の立法権および行政権は、司法権から分離かつ区別されなければならない。2つの部の構成員は〔…〕一定にしてかつ正規な選挙をしばしば行うことで〔…〕一定の期間、私人としての地位に復帰せしめ、選出団体にもどさなければならない。」[3] 第7条から第16条では、政府の権限を制限することを提案し、「人民の代表の同意なくして」[3]政府は法律を停止したり執行したりする権限を持つべきではないと宣言している。「訴追者および証人と対面し、自己に有利な証拠を要求し、また近隣の公平なる陪審員による迅速なる公判を受け」[3]る法的な権利を確立し、また「何人も自己に不利な証拠の提出を強制される」[3]ことを妨げている。また「残虐で異常な刑罰」および根拠の無い捜索や逮捕に対して保護し、陪審員による裁判、言論出版の自由、信教の自由(すべて人は自由に宗教を信仰する平等の権利を有する)を補償し、武器の訓練をうけた人民の団体よりなる規律正しい民兵に依存する「自由な国家の適当にして安全なる護り」[3]があり、平時における常備軍は自由にとり危険なものとして避けなければならない、とした。 本文以下はバージニア権利章典の全文である。
ジョージ・メイソンによって起草され、バージニア会議で1776年6月12日に採択された。 影響この権利章典は後の文書に大きな影響を与えた。トーマス・ジェファーソンは、1ヵ月後(1776年7月)のアメリカ独立宣言を起草するときにこれから引用したと考えられている。ジェームズ・マディソンも、アメリカ権利の章典(1787年9月に完成、1789年承認)を起草するときに影響を受けており、同様にラファイエットは、フランス革命の人間と市民の権利の宣言を作成する時に影響された。 バージニア権利章典の重要性は、議会の構成員を護るよりも個々人の権利を初めて成文で護ったことであり、成立のときと同様に容易に変更できる単一の法ではなかったことである。 権利章典から派生した他の人権宣言の章句
脚注
参考文献
関連項目外部リンク |