バディ・ランデル
"ネイチャー・ボーイ" バディ・ランデル("Nature Boy" Buddy Landel、本名:William Fritz Ensor、1961年8月17日 - 2015年6月22日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。テネシー州ノックスビル出身。 キャラクターからコスチュームに至るまで、"ネイチャー・ボーイ" リック・フレアーのスタイルをそっくりコピーしたヒールとして、アメリカ南部を中心に各団体で活動した[2]。 来歴ボリス・マレンコのトレーニングを受け、ランディ・サベージの父アンジェロ・ポッフォが運営していたケンタッキー州レキシントンのインディー団体ICW(インターナショナル・チャンピオンシップ・レスリング)にて1979年11月にデビュー。同団体にはマレンコの盟友ボブ・ループが参画しており、デビュー戦ではループのパートナーだったボブ・オートン・ジュニアの胸を借りた[3]。 以降、若手のベビーフェイスとして各地の前座試合でキャリアを積んだ後、リック・フレアーのスタイルを真似た金髪のエゴイスト系ヒールに変身。1983年3月5日にはプエルトリコのWWCにてペドロ・モラレスから北米ヘビー級王座を奪取[4]、同年下期にはテネシー州メンフィスのCWAにてダッチ・マンテルやココ・ウェアとミッドアメリカ・ヘビー級王座を争った[5]。翌1984年はビル・ワット主宰のMSWAに参戦、ジャンクヤード・ドッグやラニー・ポッフォと抗争し、女子プロレスラーのウェンディ・リヒターと組んでのミックスド・タッグマッチにも出場した[6]。 1985年3月より、「にせフレアー」のギミックでジム・クロケット・ジュニアの運営するNWAミッドアトランティック地区に登場。J・J・ディロンをマネージャーに迎え、自分こそが真の "ネイチャー・ボーイ" であると主張して本家のリック・フレアーと抗争を展開、6月から9月にかけて、フレアーのNWA世界ヘビー級王座に再三挑戦した[7]。11月28日にはテリー・テイラーからNWAナショナル・ヘビー級王座を奪取、12月19日にダスティ・ローデスに敗れ短命政権に終わったものの[8]、フレアー、ローデス、マグナムTA、ニキタ・コロフらとの対戦を通しメジャーテリトリーでの実績を築いた[9]。 1986年はミッドアトランティックと古巣のCWAを股にかけて活動、CWAではヒールターンしたビル・ダンディーと組んで旧敵マンテル&ジェリー・ローラーと抗争した[10]。その後はアラバマのコンチネンタル・チャンピオンシップ・レスリングを経て、1988年1月には全日本プロレスに初来日。ジャンボ鶴田、輪島大士、ジョン・テンタとのシングルマッチが組まれ、ジャイアント馬場ともタッグマッチで対戦したが[11]、負傷のため途中帰国している[2]。同年はプエルトリコのWWCに再登場し、8月20日にTNTを破りカリビアン・ヘビー級王座を獲得した[12]。 その後は初期のWCWなどを経て、1990年代中盤まではCWAの後継団体USWAや、ジム・コルネットが主宰していたノックスビルのSMW(スモーキー・マウンテン・レスリング)を主戦場に活躍。1993年11月22日にはジェフ・ジャレットからUSWAヘビー級王座を奪取[13]、SMWでは1994年12月5日にブライアン・リーを破りTV王座を獲得した[14]。 当時、SMWとUSWAはWWFと提携しており、1995年8月4日にはSMWで開催された "Superbowl of Wrestling" のメインイベントでショーン・マイケルズのWWFインターコンチネンタル王座に挑戦[15]。同年末にはWWF本隊にも出場し、12月17日に開催のPPVシリーズ『イン・ユア・ハウス』の第5回大会 "Seasons Beatings" では、ディーン・ダグラスをセコンドにアーメッド・ジョンソンと対戦するも秒殺された[16][17]。なお、同大会でのランデルの入場テーマ曲は、1990年代初頭にフレアーがWWFに在籍していた際に使用された、WWFのアレンジ・バージョンによる "Also sprach Zarathustra" が用いられた。翌18日には、当時ブレット・ハートが保持していたWWF世界ヘビー級王座に挑戦[18][19]。その後も『マンデー・ナイト・ロウ』のアンダーカードやTVテーピングにて、ボブ・ホーリーや無名時代のマット・ハーディーから勝利を収めたが[19][20]、WWFにレギュラー参戦することはなかった。 1990年代後半はIWAミッドサウスなどのインディー団体で活動し、1997年11月7日にIWAミッドサウス・ヘビー級王座を獲得[3]。1999年2月にはアンダーカードのジョバーとして再びWWFに登場し、2月15日と16日に収録された "WWF Shotgun" の枠内においてザ・ゴッドファーザーとトリプルHのジョバーを務めた[20][21]。2001年1月には当時WWFの下部団体だったOVWにも出場[20]。同年8月11日、アラバマ州バーミングハムでのトミー・リッチ戦を最後に現役を引退した[1]。 リタイア後の近年も地元のテネシーやアラバマのインディー団体に時折出場しており、2010年11月19日にはNWAレッスル・バーミングハム主催のノスタルジア・ショーに登場。グレッグ・バレンタイン&キャメロン・バレンタインと組み、ジェイク・ロバーツ、ブルータス・ビーフケーキ、ブリックハウス・ブラウンのトリオと6人タッグマッチで対戦した[3][20]。 2015年6月21日に自動車事故に遭い、搬送先の病院から一度は自宅に戻るも、翌22日に死去[22][23]。53歳没[22]。 得意技リック・フレアーのイミテーションをギミックとしていたランデルは、ファイトスタイルもフレアーのムーブをそのまま取り入れ、フレアー自身がコピーした "元祖ネイチャー・ボーイ" バディ・ロジャースのステップも踏襲していた。 獲得タイトル
脚注
外部リンク |