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バディ・ランデル

バディ・ランデル
プロフィール
リングネーム "ネイチャー・ボーイ" バディ・ランデル
本名 ウィリアム・フリッツ・アンソール
身長 183cm - 188cm
体重 100kg - 110kg
誕生日 (1961-08-17) 1961年8月17日
死亡日 (2015-06-22) 2015年6月22日(53歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テネシー州の旗 テネシー州
ノックス郡ノックスビル
トレーナー ボリス・マレンコ[1]
デビュー 1979年[1]
引退 2001年[1]
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"ネイチャー・ボーイ" バディ・ランデル"Nature Boy" Buddy Landel、本名:William Fritz Ensor1961年8月17日 - 2015年6月22日)は、アメリカ合衆国プロレスラーテネシー州ノックスビル出身。

キャラクターからコスチュームに至るまで、"ネイチャー・ボーイ" リック・フレアーのスタイルをそっくりコピーしたヒールとして、アメリカ南部を中心に各団体で活動した[2]

来歴

ボリス・マレンコのトレーニングを受け、ランディ・サベージの父アンジェロ・ポッフォが運営していたケンタッキー州レキシントンのインディー団体ICW(インターナショナル・チャンピオンシップ・レスリング)にて1979年11月にデビュー。同団体にはマレンコの盟友ボブ・ループが参画しており、デビュー戦ではループのパートナーだったボブ・オートン・ジュニアの胸を借りた[3]

以降、若手のベビーフェイスとして各地の前座試合でキャリアを積んだ後、リック・フレアーのスタイルを真似た金髪のエゴイスト系ヒールに変身。1983年3月5日にはプエルトリコWWCにてペドロ・モラレスから北米ヘビー級王座を奪取[4]、同年下期にはテネシー州メンフィスCWAにてダッチ・マンテルココ・ウェアとミッドアメリカ・ヘビー級王座を争った[5]。翌1984年ビル・ワット主宰のMSWAに参戦、ジャンクヤード・ドッグラニー・ポッフォと抗争し、女子プロレスラーのウェンディ・リヒターと組んでのミックスド・タッグマッチにも出場した[6]

1985年3月より、「にせフレアー」のギミックジム・クロケット・ジュニアの運営するNWAミッドアトランティック地区に登場。J・J・ディロンマネージャーに迎え、自分こそが真の "ネイチャー・ボーイ" であると主張して本家のリック・フレアーと抗争を展開、6月から9月にかけて、フレアーのNWA世界ヘビー級王座に再三挑戦した[7]。11月28日にはテリー・テイラーからNWAナショナル・ヘビー級王座を奪取、12月19日にダスティ・ローデスに敗れ短命政権に終わったものの[8]、フレアー、ローデス、マグナムTAニキタ・コロフらとの対戦を通しメジャーテリトリーでの実績を築いた[9]

1986年はミッドアトランティックと古巣のCWAを股にかけて活動、CWAではヒールターンしたビル・ダンディーと組んで旧敵マンテル&ジェリー・ローラーと抗争した[10]。その後はアラバマコンチネンタル・チャンピオンシップ・レスリングを経て、1988年1月には全日本プロレスに初来日。ジャンボ鶴田輪島大士ジョン・テンタとのシングルマッチが組まれ、ジャイアント馬場ともタッグマッチで対戦したが[11]、負傷のため途中帰国している[2]。同年はプエルトリコのWWCに再登場し、8月20日にTNTを破りカリビアン・ヘビー級王座を獲得した[12]

その後は初期のWCWなどを経て、1990年代中盤まではCWAの後継団体USWAや、ジム・コルネットが主宰していたノックスビルのSMW(スモーキー・マウンテン・レスリング)を主戦場に活躍。1993年11月22日にはジェフ・ジャレットからUSWAヘビー級王座を奪取[13]、SMWでは1994年12月5日にブライアン・リーを破りTV王座を獲得した[14]

当時、SMWとUSWAはWWFと提携しており、1995年8月4日にはSMWで開催された "Superbowl of Wrestling" のメインイベントでショーン・マイケルズWWFインターコンチネンタル王座に挑戦[15]。同年末にはWWF本隊にも出場し、12月17日に開催のPPVシリーズ『イン・ユア・ハウス』の第5回大会 "Seasons Beatings" では、ディーン・ダグラスセコンドアーメッド・ジョンソンと対戦するも秒殺された[16][17]。なお、同大会でのランデルの入場テーマ曲は、1990年代初頭にフレアーがWWFに在籍していた際に使用された、WWFのアレンジ・バージョンによる "Also sprach Zarathustra" が用いられた。翌18日には、当時ブレット・ハートが保持していたWWF世界ヘビー級王座に挑戦[18][19]。その後も『マンデー・ナイト・ロウ』のアンダーカードやTVテーピングにて、ボブ・ホーリーや無名時代のマット・ハーディーから勝利を収めたが[19][20]、WWFにレギュラー参戦することはなかった。

1990年代後半はIWAミッドサウスなどのインディー団体で活動し、1997年11月7日にIWAミッドサウス・ヘビー級王座を獲得[3]1999年2月にはアンダーカードのジョバーとして再びWWFに登場し、2月15日と16日に収録された "WWF Shotgun" の枠内においてザ・ゴッドファーザートリプルHのジョバーを務めた[20][21]2001年1月には当時WWFの下部団体だったOVWにも出場[20]。同年8月11日、アラバマ州バーミングハムでのトミー・リッチ戦を最後に現役を引退した[1]

リタイア後の近年も地元のテネシーやアラバマのインディー団体に時折出場しており、2010年11月19日にはNWAレッスル・バーミングハム主催のノスタルジア・ショーに登場。グレッグ・バレンタイン&キャメロン・バレンタインと組み、ジェイク・ロバーツブルータス・ビーフケーキブリックハウス・ブラウンのトリオと6人タッグマッチで対戦した[3][20]

2015年6月21日に自動車事故に遭い、搬送先の病院から一度は自宅に戻るも、翌22日に死去[22][23]。53歳没[22]

得意技

リック・フレアーのイミテーションをギミックとしていたランデルは、ファイトスタイルもフレアーのムーブをそのまま取り入れ、フレアー自身がコピーした "元祖ネイチャー・ボーイ" バディ・ロジャースのステップも踏襲していた。

獲得タイトル

ジム・クロケット・プロモーションズ
  • NWAナショナル・ヘビー級王座:1回[8]
コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
  • NWAミッドアメリカ・ヘビー級王座:4回[5]
  • AWA南部ヘビー級王座:2回[24]
ミッドサウス・レスリング・アソシエーション
  • ミッドサウスTV王座:1回[25]
ワールド・レスリング・カウンシル
  • WWC北米ヘビー級王座:1回[4]
  • WWC北米タッグ王座:1回(w / テリー・ギッブス[26]
  • WWCカリビアン・ヘビー級王座:1回[12]
  • WWCカリビアン・タッグ王座:1回(w / テリー・ギッブス)[27]
ユナイテッド・ステーツ・レスリング・アソシエーション
  • USWAヘビー級王座:1回[13]
スモーキー・マウンテン・レスリング
  • SMWヘビー級王座:1回[28]
  • SMWビート・ザ・チャンプTV王座:1回[14]
IWAミッドサウス
NWAニュージャージー

脚注

  1. ^ a b c d 08/04/01 Interview with Buddy by Ryan Byers”. DDT Digest (2008年4月1日). 2011年8月4日閲覧。
  2. ^ a b 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P84(2002年、日本スポーツ出版社
  3. ^ a b c d "Nature Boy" Buddy Landel”. Online World of Wrestling. 2011年8月4日閲覧。
  4. ^ a b WWC North American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年7月13日閲覧。
  5. ^ a b NWA-CWA Mid-America Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年8月4日閲覧。
  6. ^ The UWF matches fought by Buddy Landel in 1984”. Wrestlingdata.com. 2015年10月20日閲覧。
  7. ^ The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1985”. Wrestling-Titles.com. 2011年8月4日閲覧。
  8. ^ a b NWA National Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年8月4日閲覧。
  9. ^ The WCW matches fought by Buddy Landel in 1985”. Wrestlingdata.com. 2015年10月20日閲覧。
  10. ^ The USWA matches fought by Buddy Landel in 1986”. Wrestlingdata.com. 2015年10月20日閲覧。
  11. ^ The AJPW matches fought by Buddy Landel in 1988”. Wrestlingdata.com. 2015年10月20日閲覧。
  12. ^ a b WWC Caribbean Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年8月4日閲覧。
  13. ^ a b USWA Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年8月4日閲覧。
  14. ^ a b SMW "Beat the Champ" Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年8月4日閲覧。
  15. ^ SMW SuperBowl of Wrestling”. Cagematch.net. 2015年10月20日閲覧。
  16. ^ WWE Yearly Results 1995”. The History of WWE. 2011年6月20日閲覧。
  17. ^ WWF In Your House 5: Season's Beatings”. Cagematch.net. 2015年10月20日閲覧。
  18. ^ WWF Mania”. Cagematch.net. 2015年10月20日閲覧。
  19. ^ a b The WWE matches fought by Buddy Landel in 1995”. Wrestlingdata.com. 2015年10月20日閲覧。
  20. ^ a b c d Matches of Buddy Landel 1995-2010”. Cagematch.net. 2011年8月4日閲覧。
  21. ^ WWE Yearly Results 1999”. The History of WWE. 2011年6月20日閲覧。
  22. ^ a b Buddy Landel dead at age 53”. Slam Wrestling (2015年6月22日). June 24, 2015閲覧。
  23. ^ "Nature Boy" Buddy Landel passes away”. WWE.com (2015年6月22日). 2015年10月20日閲覧。
  24. ^ AWA Southern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年8月4日閲覧。
  25. ^ Mid-South Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年8月4日閲覧。
  26. ^ WWC North American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年7月13日閲覧。
  27. ^ WWC Caribbean Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年7月13日閲覧。
  28. ^ SMW Heavyweigh Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年8月4日閲覧。
  29. ^ NWA United States Tag Team Title”. Solie's Title Histories. 2023年9月24日閲覧。

外部リンク

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