トピカ・ゴールデンジャイアンツ (1887年)トピカ・ゴールデンジャイアンツ (Topeka Golden Giants) とはカンザス州トピカを本拠とした米国マイナーリーグ野球チーム。ウェスタンリーグに所属し、1887年の 1 シーズンのみ存続した。監督(Walt Goldsby、ウォルト・ゴールズビー)の名前をとってゴールズビーのゴールデンジャイアンツ (Goldsby's Golden Giants) とも呼ばれた。 ゴールデンジャイアンツはウェスタンリーグに所属した1年間に、90勝25敗(勝率7割8分5厘)で2位のリンカーン・ツリープランターズに15ゲーム差をつけてリーグ優勝した[1][2]。1887年4月10日には、当時のワールドシリーズチャンピオンだったセントルイス・ブラウンズ(現カージナルズ)とエキジビションゲームを行い12対9で勝利した[3]。 著名な選手この時代のウェスタンリーグはマイナーリーグに分類されていたが、ゴールデンジャイアンツの選手のほとんどはメジャーリーガーだった。選手兼監督だったウォルト・ゴールズビーも1886年までメジャーリーグでプレー(1888年にはボルチモアオリオールズに復帰)した外野手だった。 一塁手のダン・スターンズはこのシーズンのリーグ最多安打を記録し、ジミー・マカラーは打率で首位を取った。スターンズとマカラーはいずれも1885年にボルチモアオリオールズでプレーしており、1882年にシンシナティレッドストッキングズが優勝したときも同じチームにいた。 他にも多数の選手がメジャー経験を持っていた:外野手のバグ・ホリデイは本塁打王になった。投手であるトム・サリバンはリーグトップの36勝をあげた。ジム・コンウェイ、ジョー・ガンソン、ジョー・アードナー、バスター・フーバーもメジャーリーガーだった[4]。 脚注
外部リンク
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