デイヴィッド・サスーンデイヴィッド・サスーン(英: David Sassoon、1792年10月 - 1864年11月7日)は、インドを拠点に活動したユダヤ人の商人。バグダード出身。 スペインに起源を持つセファルディムの出身で、父サレハ(Sason Ben Saleh)はバグダードと現在のイラク南部を支配したパシャの主任会計を務め、同市のユダヤ人コミュニティーを率いる資産家だった。その後ダウード・パシャによるユダヤ人迫害を逃れてペルシャを経て一家でボンベイに移住し、1832年にサスーン商会を設立、イギリスの東洋貿易に多大な貢献をした。特に阿片戦争のきっかけとなった当時のアヘン貿易において重要な位置を占めていた。その後は香港、上海にも営業所を構える。さらに、南北戦争によりアメリカ産綿花の輸出が途絶えたのを機にインド産綿花の輸出も成功させた。これらの功績が認められて1853年にイギリス国籍を取得。 また、デイヴィッドはボンベイでユダヤ人コミュニティーを率いると共に、同地やプーナ、故郷のバグダッドなどに病院やシナゴーグ、学校を建設するなど慈善活動も行った。ボンベイでは英語での教育を施すEEE高等学校やサスーン病院を設置した。デイヴィッド自身は生涯英語を話せず、バグダード時代からのアラブ風の生活様式で生涯を過ごしたが、息子のアブドゥッラーにはイギリス人としての教育を施した。1864年にプーナにて死去した際はその社会貢献からイスラム教徒、キリスト教徒、パールシー(ゾロアスター教徒)、ヒンズー教徒も哀悼を捧げた[1]。 息子のアブドゥッラーは後にアルバートと改名し、イギリスに渡って準男爵となった。18世紀、サスーン家は世界で最も裕福だった一族の1つだった[1]。 ムンバイ(旧ボンベイ)のデイヴィッド・サスーン図書館、サスーン・ドックは彼の名にちなむ。 関連項目出典 |