ダシェンコ・リカルド
ダシェンコ・アドリアーノ・リカルド(Dashenko Adriano Ricardo, 1990年3月1日 - )は、オランダ領アンティルのキュラソー島ウィレムスタッド出身のプロ野球選手(捕手)。右投げ右打ち。 経歴プロ入りとオリオールズ傘下時代2007年にドラフト外でボルチモア・オリオールズと契約を結んだ。ルーキー級ドミニカンサマーリグ・オリオールズで38試合に出場し、1本塁打19打点2盗塁、打率.297だった。 2008年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・オリオールズで29試合に出場し、打率.169だった。 2009年はA級デルマーバ・ショアバーズで6試合に出場し、6月からはルーキー級ブルーフィールド・オリオールズで49試合に出場し、17打点3盗塁、打率.243だった。7月にA-級アバディーン・アイアンバーズへ昇格。16試合に出場し、打率.122だった。 2010年はルーキー級ブルーフィールドで16試合に出場し、1本塁打4打点、打率.241だった。 2011年に解雇された。 ジャイアンツ傘下時代オリオールズ解雇後、サンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ。同年はルーキー級アリゾナリーグ・ジャイアンツで3試合に出場した。 2012年はA級のセイレムカイザー・ボルケーノズで47試合に出場し、2本塁打17打点、打率.253だった。 2013年1月に解雇された[1]。無所属のまま第3回WBCオランダ代表に選出された[2]。 ドジャース傘下時代2013年3月17日に、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ[3]。 2014年3月に解雇された。 オランダ球界時代2014年3月28日にホーフトクラッセのコレンドン・キンヘイムと契約を結んだ[4]。 9月2日にフランス国際野球大会のオランダ代表に選出された[5]。同大会でオランダ代表は初代優勝国となった[6]。 大会終了後の9月12日に第33回ヨーロッパ野球選手権大会のオランダ代表に選出された[7]。同大会ではオランダ代表が大会の記録である自国の20回の優勝を塗り替える3大会ぶり21度目の優勝を果たした[8]。 2015年2月17日に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の欧州代表に選出され[9][10]、3月10日の第1戦に「8番 捕手」で先発出場した[11]。 4月13日に第15回ワールドポート・トーナメントと第1回WBSCプレミア12のオランダ代表候補選手に選出された[12]。6月30日に第15回ワールドポート・トーナメントのオランダ代表に選出された[13]。 オフの10月12日に第1回WBSCプレミア12のオランダ代表候補選手36名に選出され[14]、10月20日に第1回WBSCプレミア12のオランダ代表選手28名に選出された[15]。 2016年1月18日にキューバ代表の強化試合のオランダ代表に選出された[16]が、同試合は雨天中止となった[17]。 2016年にキュラソー・ネプテューヌスに移籍し、6月に一時引退した[18]。 引退状態で7月9日に第28回ハーレムベースボールウィークのオランダ代表に選出された[19]。 8月25日に第2回フランス国際野球大会のオランダ代表に選出され[20]、9月7日に第34回ヨーロッパ野球選手権大会のオランダ代表に選出された[21]。両大会で優勝を果たした[22]。 10月18日に日本代表との強化試合のオランダ代表に選出された[23]。 北米独立リーグ時代2016年11月1日に、同じオランダ代表経験者のランドルフ・オドゥバーと共に、独立リーグ・アメリカン・アソシエーションのリンカーン・ソルトドッグスと契約を結び[24]、現役復帰した。 2017年2月7日、同年のアメリカ遠征のオランダ代表に選出された[25]。2月9日に第4回WBCのオランダ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした[26]。 2018年限りでリンカーン・ソルトドッグスを退団した。 レイズ傘下時代2019年3月30日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結び、傘下AAA級のダーラム・ブルズでプレー[27]。16試合に出場し、打率.171、1本、5打点の成績を残した。11月4日にFAとなった[27]。 レイズ退団後2020年はアメリカ独立リーグのフロンティア・リーグに所属するゲートウェイ・グリズリーズと契約を結んだが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴いリーグ戦が中止となったため、プレーすることなくチームを退団し、ホーフトクラッセのキュラソー・ネプテューヌスと契約した[28]。 選手としての特徴
詳細情報WBCでの打撃成績
WBSCプレミア12での打撃成績
代表歴
脚注
外部リンク
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