ジャスティン・ルジアーノ
ジャスティン・マーシャル・ルジアーノ(Justin Marshall Ruggiano, 1982年4月12日 - )は、アメリカ合衆国・テキサス州オースティン出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 経歴プロ入りとドジャース傘下時代2004年のMLBドラフト25巡目(全体748位)でロサンゼルス・ドジャースから指名を受け、6月21日に契約。この年は傘下のパイオニアリーグのルーキー級オグデン・ラプターズでプロデビュー。46試合に出場して打率.329・7本塁打・36打点・6盗塁の成績を残した。 2005年はまずA+級ベロビーチ・ドジャースでプレーし、71試合に出場して打率.310・9本塁打・37打点・16盗塁の成績を残した。フロリダ・ステートリーグのオールスターゲームに選出された[2]。7月5日にAA級ジャクソンビル・サンズへ昇格。53試合に出場して打率.342・6本塁打・29打点・8盗塁の成績を残した。 2006年はAA級ジャクソンビルでプレーし、89試合に出場して打率.260・9本塁打・45打点・10盗塁の成績を残した。7月にはサザンリーグのオールスターゲームに南地区代表として選出された[3]。 レイズ時代2006年7月19日に6月27日に行われたトレード[注釈 1]の後日発表選手として、タンパベイ・デビルレイズへ移籍した[4]。移籍後は傘下のAA級モンゴメリー・ビスケッツでプレーし、31試合に出場して打率.333・4本塁打・27打点・4盗塁の成績を残した。 2007年はAAA級ダーラム・ブルズで127試合に出場し、打率.309・20本塁打・73打点・26盗塁だった。7月にはインターナショナルリーグのオールスターゲームに選出された。9月にはTopps社が選出する8月度月間MVPに選ばれ、9月19日にデビルレイズとメジャー契約を結んだ[5]。同日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦でメジャーデビュー。9回に代走として出場した。この年は7試合に出場し、打率.214・3打点だった。オフの10月にはベースボール・アメリカ誌のAAA級オールスターチームに選ばれた[6]。 2008年は開幕をAAA級ダーラムで迎えたが、4月9日にクリフ・フロイドが故障者リスト入りしたため、メジャーへ昇格[7]。外野のバックアップとして5試合に出場していたが、4月25日にマット・ガーザが故障者リストから復帰したため、AAA級ダーラムへ降格した[8]。5月2日にゲーリー・グローバーが故障者リスト入りしたため、メジャーへ昇格。同日のボストン・レッドソックス戦で代打として出場したが、2打数無安打と結果を残せず、5月3日にAAA級ダーラムへ降格した[9]。6月4日にカルロス・ペーニャが故障者リスト入りしたため、メジャーへ昇格[10]。昇格後は9試合に出場したが、6月24日にAAA級ダーラムへ降格[11]。8月11日にエバン・ロンゴリアが故障者リスト入りしたため再昇格した[12]。この年は主に外野のバックアップとして45試合に出場して打率.197・2本塁打・7打点・2盗塁の成績を残した。 2009年2月25日にレイズと1年契約に合意[13]。3月25日にAAA級ダーラムへ異動した[14]。この年のレイズの外野手にはカール・クロフォード、B.J.アップトン、ゲイブ・グロスがレギュラーを確保しており、バックアップにはゲーブ・キャプラーが控えているなど昇格できる枠がなく、1年を通してAAA級ダーラムでプレーした。AAA級ダーラムでは123試合に出場して打率.253・15本塁打・72打点・23盗塁の成績を残した。 2010年3月3日にレイズと1年契約に合意。3月24日にAAA級ダーラムへ配属され、開幕を迎えた。6月12日にキャプラーが故障者リスト入りしたためメジャーへ昇格[15]。しかし出場機会のないまま、6月16日にAAA級ダーラムへ降格した。結局この年もメジャーでプレーすることができず、AAA級ダーラムでプレー。117試合に出場して打率.287・15本塁打・70打点・24盗塁の成績を残した。 2011年2月8日にDFAとなり、2月11日にAAA級ダーラムへ降格した[16]。開幕後はAAA級ダーラムでプレーし、37試合に出場して打率.308・6本塁打・30打点・11盗塁と活躍。5月20日にレイズとメジャー契約を結んだ[17]。同日のフロリダ・マーリンズ戦で3年ぶりのメジャー出場を果たした。昇格後は外野のバックアップとして起用されたが、8月10日に左膝の故障で15日間の故障者リスト入りした[18]。9月1日に復帰したが、主に守備固めとしての起用となり、プレーオフのロースター入りを逃した。この年は46試合に出場して打率.248・4本塁打・13打点・1盗塁の成績を残した。 2012年1月24日にDFAとなり、1月30日に「タンパベイは素晴らしい組織だが、自分にとって十分な出場機会があるとは思えない」としてマイナー契約を拒否し、FAとなった[19]。 アストロズ傘下時代2012年2月6日にヒューストン・アストロズとマイナー契約を結んだ[20]。開幕後はAAA級オクラホマシティ・レッドホークスでプレーし、39試合に出場して打率.325・5本塁打・29打点・5盗塁の成績を残した。 マーリンズ時代2012年5月26日にジョブデュアン・モラレスとのトレードで、マイアミ・マーリンズへ移籍した[21]。移籍後は主に代打として出場していたが、ジャンカルロ・スタントンやエミリオ・ボニファシオら外野手の故障が相次いだため、外野の先発機会が増加。この年は91試合に出場して打率.313・13本塁打・36打点・14盗塁の成績を残した。 2013年は主に中堅手としてメジャーに定着。128試合に出場して打率.222・18本塁打・50打点・15盗塁の成績を残した。 カブス時代2013年12月12日にブライアン・ボグセビックとのトレードで、シカゴ・カブスへ移籍した[22]。 2014年1月29日にカブスと200万ドルの1年契約で合意した[23]。開幕後は外野の定位置を獲得できず、バックアップとして起用されていたが、4月24日に左ハムストリングの故障で15日間の故障者リスト入りした[24]。5月26日に復帰[25]。復帰後も定位置を奪取できないまま、8月27日に左足首の故障で15日間の故障者リスト入りし[26]、9月2日に60日間の故障者リストへ異動[27]。そのままシーズンを終えた。この年は81試合に出場して打率.281・6本塁打・28打点・2盗塁の成績を残した。オフの11月3日に故障者リストから外れた。 マリナーズ時代2014年12月17日にマット・ブラジスとのトレードで、シアトル・マリナーズへ移籍した[28]。 2015年6月4日にDFAとなり[29]、13日に傘下のAAA級タコマ・レイニアーズへ配属された。 ドジャース時代2015年8月31日に後日発表選手とのトレードで、ドジャースへ移籍し、翌9月1日にメジャー契約となり40人枠入り。11月5日に40人枠から外れ、AAA級オクラホマシティ・ドジャース[30]に降格した[31]。翌6日にFAとなった[32]。 レンジャーズ時代2015年12月17日にテキサス・レンジャーズと1年契約を結んだ[33]。 2016年はメジャーの開幕25人枠入りしたが、4月9日にDFAとなり、翌10日に傘下のAAA級ラウンドロック・エクスプレスへ配属された。7月28日に自由契約となった[34]。レンジャーズでは1試合に出場しただけで、4打数1安打(二塁打)1打点を記録したのみだった。守備では左翼手を守り、無失策・DRS + 1を記録した。 メッツ時代2016年7月30日にニューヨーク・メッツと契約し、即日で25人枠入りした[35]。8月2日にハムストリングを痛めて故障者リスト入りした[36]。メッツでは8試合に出場し、打率.350・2本塁打・6打点・OPS1.059と打ちまくった。守備は中堅手6試合で1失策・守備率.938・DRS - 1を、ライト1試合(1.0イニング)で無失策・DRS0という内容だった。レンジャーズとの合算では、9試合で打率.333・2本塁打・7打点・OPS1.010という成績となる。また、守備は外野全ポジションで1失策・守備率.950・DRS0・UZR - 0.7だった。また、マイナーリーグ(レンジャーズ傘下時代と合算)では、47試合で打率.229・7本塁打・23打点・3盗塁・OPS0.745という低調な成績だった。オフの11月4日にFAとなった[34]。 ジャイアンツ時代2017年1月3日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。シーズンの開幕は傘下のAAA級サクラメント・リバーキャッツで迎え、5月6日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[37]。6月2日にDFAとなった後、4日にFAとなった[34]。その後ウェイバーにかけられたが7月25日にジャイアンツとマイナー契約を結んだ。 プレースタイルマイナーでは例年安定した数字を刻んでいる、スピード・パワー・強肩を兼ね備えるアスリート。選球眼も比較的優れている。一方、コンタクトが拙く、三振が多すぎると言う明確な弱点があるので、MLBレベルではレギュラーとしては頼りないが、外野なら全てのポジションをスマートにこなせるだけの守備力と強肩を持ち合わせているので、「第四の外野手」としてなら生き残れる可能性はあると評されていた[38][39]。 詳細情報年度別打撃成績
背番号
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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