2009年11月、7曲が収録されたデビューEP『My World』がリリースされ、アメリカでプラチナディスクに認定された。Billboard Hot 100においてデビューアルバムの7曲がチャートインしたのは、ジャスティン・ビーバーが初めてである[11]。
2010年3月、スタジオ・アルバム『My World 2.0』がリリースされる。このアルバムは複数の国で初登場首位を獲得し、アメリカレコード協会ではプラチナディスクに認定された。デビューアルバムのリリースに引き続き、初めてのツアーであるMy World Tourを敢行した。また、リミックス・アルバム『My Worlds Acoustic』や『Never Say Never』をリリースし、自身の伝記映画となる「ジャスティン・ビーバー ネヴァー・セイ・ネヴァー」が公開された。
現地時間2024年8月23日夕方に第一子JACK BLUES BIEBER(ジャック・ブルース・ビーバー)の誕生を自身のSNSにて報告。
生い立ち
1994年3月1日、オンタリオ州ロンドンの聖ヨセフ病院で生まれ[14][15]、オンタリオ州ストラトフォードで育った[16]。父ジェレミー・ビーバーと母パティ・マレットの間に生まれた。パティが妊娠したのは17歳の時であった。パティはキリスト教カトリックの厳格な信徒であり、カトリックでは婚前性交渉や中絶は禁止であるためジェレミーとパティは結婚しなかったが、息子の私的生活や職業生活について同じ目標があり親交を持ち続けた。パティは、母ダイアンと継父ブルースの助けを借りて息子を育てた[17]。2012年9月には、パティの回顧録「Nowhere but Up: The Story of Justin Bieber's Mom」が出版された。この本は彼女が若い時のことや、息子との音楽業界でのキャリアを追ったものである。「トゥデイ」でのインタビューでも語ったように、周囲の人々が妊娠中絶を勧めながらも彼女はそれを拒否したことについて書かれている[18]。パティは、低賃金の事務で働きながら公営住宅に住み、シングルマザーとして息子を身一つで育てた。ジェレミーは、他の女性と再婚し二児をもうけたが、今でもジャスティンと連絡を取り合っている[19][20]。
並外れた歌唱力を持つ歌手の動画を探し求めていた元So So Defマーケティング担当役員のスクーター・ブラウンは、ほんの偶然に2007年のビーバーの動画をクリックした。それに感動したブラウンはビーバーが歌っていた場所、学校を突き止め、ついにパティとの接触に成功した。しかしブラウンはユダヤ人であったため彼女はあまり気乗りせず、「神様、息子をあなたに捧げます。だから、クリスチャンの人を、クリスチャンのレーベルの人を、遣わしてください!...ユダヤ人にジャスティンを預けることなど、お望みではないでしょう?」と祈った[19]。しかし、教会の長老たちとの祈りのあとに彼らからの激励を受け入れ、デモテープを作成するためにアトランタへ飛ぶことを許可した[19][29]。そのときビーバーは13歳であった[28]。到着してから1週間後には、R&Bシンガーソングライターのアッシャーに歌を披露した。
ビーバーのファーストシングル「One Time」は、まだ彼がデビューアルバムをレコーディングしている最中にリリースされた[32]。この曲は2009年7月に発売初週でCanadian Hot 100で12位を獲得し[28]、Billboard Hot 100においては最高17位を獲得した。2009年秋には世界市場で成功を収めた[33]。またこの曲はカナダとアメリカでプラチナディスクに、オーストラリアとニュージーランドでゴールドディスクに認定された[34][35][36]。2009年11月17日、ファーストEP『My World』がリリースされた。セカンドシングル「One Less Lonely Girl」とプロモシングル「Love Me」、「Favorite Girl」がiTunes Storeでリリースされ、Billboard Hot 100で40位以上を記録した[33]。
その後も「One Less Lonely Girl」がラジオで流され、カナダとアメリカでは最高15位を獲得し、後にゴールドディスクに認定された[33]。そしてついに『My World』がアメリカでプラチナディスクに、カナダとイギリスでダブルプラチナディスクに認定された[37][38][39]。アルバムのプロモーションのためmtvUのVMA 09 Tour、ドイツのテレビ番組「The Dome」、YTVの「The Next Star」、「トゥデイ」[40][41]、「The Wendy Williams Show」、「Lopez Tonight」、「エレンの部屋」、「It's On with Alexa Chung」、「グッド・モーニング・アメリカ」、「Chelsea Lately」、BETの「106 & Park」に出演し数多くのライヴを行った。「106 & Park」では歌手のリアーナと共演を果たした。2009年後期には、シットコム「True Jackson, VP」にゲスト出演した[42]。
「Christmas in Washington」の収録のため、ビーバーはホワイトハウスで米大統領バラク・オバマとファーストレディミシェル・オバマにスティービー・ワンダーの「Someday at Christmas」を歌った。これは2009年12月20日にTNTで放送された[43]。また、2009年12月31日に「Dick Clark's New Year's Rockin' Eve with Ryan Seacrest」に出演した。2010年1月31日、ビーバーは第52回グラミー賞のプレゼンターを務め、またハイチ地震による被災者支援のために、25周年となった「We Are The World」のリメイクのレコーディングに参加した。ビーバーはオリジナルではライオネル・リッチーが歌った歌い出しを歌った[44]。
2010年3月12日、Young Artists For Haitiとして知られているカナダのアーティストたちがK'Naanの「Wavin' Flag」をリメイクした。ビーバーも参加し、歌い終わりを歌った[45]。
2010年 - 2011年:My World 2.0、Never Say Never、Under the Mistletoe
2010年1月、リュダクリスをフィーチャーしたデビューアルバム『My World 2.0』のリードシングル「Baby」がリリースされ、世界中で大ヒットした。Billboard Hot 100では5位を獲得し、いくつかの国で10位以上を記録した[33]。また、プロモシングル「Never Let You Go」、「U Smile」は30位以上を記録し、カナダでは20位以上を記録した[33]。レビュー集約サイトMetacriticによるこのアルバムの評価は、「Generally favorable reviews」であった[46]。Billboard 200では初登場首位を獲得し、スティービー・ワンダーが1963年に13歳で1位を獲得して以来、同チャートで1位を獲得した2番目に若い男性ソロシンガーとなった[47]。また、このアルバムはCanadian Albums Chart、Irish Albums Chart、ARIAチャート、New Zealand Albums Chartで初登場首位を獲得し[33]、その他に15ヶ国で10位以上を記録した[48][49]。
アルバムのプロモーションのため、ビーバーは「ザ・ビュー」、第23回キッズ・チョイス・アワード、「ナイトライン」、「レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン」、「The Dome」、「106 & Park」を含む生放送番組に出演した[50]。ビーバーはシングル「Eenie Meenie」でショーン・キングストンとコラボレーションしデビューアルバムに収録された。この楽曲はイギリスとオーストラリアで10位以上を記録し、その他の国々で20位以上を記録した。2010年4月10日、ビーバーはサタデー・ナイト・ライブに音楽ゲストとして出演した[51]。2010年7月4日には、ニューヨークで行われたMacy's Fourth of July Fireworks Spectacularでパフォーマンスをした[52]。2010年4月、『My World 2.0』のセカンドシングル「Somebody to Love」がリリースされ、2010年6月23日にはメンターであるアッシャーをフィーチャーしたリミックスがリリースされた。ビーバーはアルバム『My World』、『My World 2.0』のプロモーションのため、コネチカット州のハートフォードでスタートされた初めての公式ツアーMy World Tourを行った[53]。2010年7月、ビーバーは最もネット検索されたセレブであると発表された[54]。同月ミュージックビデオ「Baby」がレディー・ガガのバッド・ロマンスの記録を破り最も再生された動画となったと同時に、最も低評価が多い動画となった[55]。2012年11月までこの記録が破られることはなかった。2010年9月、ソーシャルネットワーキングサイトの社員によると、Twitter上でのトラフィックの3パーセントがビーバーへのツイートを占めていると報じられた[56]。
2010年7月、ビーバーはニューヨークでセカンドアルバムのレコーディングを始めた[57]。このとき変声期のためにファーストアルバムをレコーディングしたときよりも声が低くなっていた。2010年4月、ビーバーは「誰もが声変わりするものだよ。変声期は自然なもので、今は僕の声に必要なことをやっているし、世界で一番のヴォーカルコーチがついているんだ。(中略)「Baby」で出していた高音のいくつかはもう出せない。生歌のときにはキーを下げなくちゃいけないんだ。」と語った[58]。ビーバーは2010年9月23日に放送されたCBSの犯罪ドラマ「CSI:科学捜査班」のシーズンプレミアにゲスト出演し、「兄弟に関連した難しい決断を迫られる問題を抱えたティーンエイジャー」を演じた。また、彼の役は連続爆破事件を起こす問題児でもある。2011年2月17日に放送されたその後のエピソードでは、そのキャラクターが殺されてしまう[59]。2010年9月12日、2010 MTV Video Music Awardsで「U Smile」、「Baby」、「Somebody to Love」のメドレーを披露し、少しだけドラムを演奏した[60]。2010年10月、アコースティックアルバム『My Worlds Acoustic』をリリースすることを発表した[61]。このアルバムはアメリカのブラックフライデーにリリースされ、前作のアルバムの楽曲のアコースティックバージョンと新曲の「Pray」が収録された[62]。
2011年2月11日、青春映画「ステップ・アップ3」の監督ジョン・M・チュウによる3D上映の伝記映画「ジャスティン・ビーバー ネヴァー・セイ・ネヴァー」が公開された。3105の映画館での公開初日の推定興行収入は1240万ドルであった[63]。この映画は1週間で3030万ドルの総収益を上げ、3100万ドルの総収益を上げたロマンティックコメディ「ウソツキは結婚のはじまり」とは僅差であった[64]。また、音楽ドキュメンタリーとして歴代記録を保持していたマイリー・サイラスの2008年の3D映画「ハンナ・モンタナ ザ・コンサート 3D」が上げた総収益3110万ドルとほぼ一致して、映画産業においての期待を上回った[65]。この映画の総合興行収入は世界中で98,441,954ドルであった[66]。2011年2月14日にはセカンドリミックスアルバム「Never Say Never: The Remixes」がリリースされ、マイリー・サイラス、クリス・ブラウン、カニエ・ウェストなどをフィーチャーしたデビューアルバムの楽曲のリミックスが収録された[67]。
2011年6月、フォーブス誌による「30歳未満で最も稼いでいるセレブ」のリストで2位に輝いた。彼はリスト上の9人の歌手のうちで最も若く、1年間で5300万ドルを稼いだ[68]。2011年11月1日、セカンドスタジオアルバム『Under the Mistletoe』をリリースした。このアルバムはBillboard 200で初登場首位を獲得し、発売初週に21万枚を売り上げた[69]。
2012年 - 2013年:Believe
2011年末、ビーバーはサードスタジオアルバム『Believe』のレコーディングを始めた。このアルバムに先駆け、ニューシングルが2012年3月にリリースされることを2012年2月22日にTwitterで発表した[70]。翌週には「エレンの部屋」に出演し、ニューシングルの曲名が「Boyfriend」であること、またそれが2012年3月26日にリリースされることを発表した[71]。この曲はMike Posnerと共に作られた[72]。また、Billboard Hot 100では初登場2位を獲得。デジタル配信では累計521,000ダウンロードを達成し、発売初週で史上2番目に多いダウンロード数となった[73]。ビルボードのBill Werdeは、ビーバーが初登場首位を獲得できなかったことについて、楽曲がiTunes Storeでしか入手できずApple Storeを利用しない者への購入手段を制限したからであると言及した[74]。「Boyfriend」はビーバーにとって初めてCanadian Hot 100で首位を獲得した曲となり、そのまま1週間首位をキープした[73]。
2012年6月19日、アイランド・レコードからサードスタジオアルバム「Believe」がリリースされた。このアルバムは前作のティーン・ポップからの逸脱を示し、ダンス・ポップとR&Bを取り入れたものである。より成熟したサウンドを磨き上げることを決心し、ビーバーは長年の共同制作者だけでなく、ロドニー・ジャーキンス、Hit-Boy、ディプロ、マックス・マーティンを含む幅広い都会派プロデューサーと共にアルバム制作を行った。エンターテインメント・ウィークリー誌はビーバーの進化を称賛し、このアルバムを「改革と復帰」と呼んだ[75]。ローリング・ストーン誌はアルバムに基づき、より低い声と激しいビートについて言及したが、それは彼の見違えるほどの性成熟を婉曲に表現した皮肉であった[76]。このアルバムはBillboard 200で初登場首位を獲得し、彼の4枚目の首位を獲得したアルバムとなった[77][78][79]。また、カナダでは発売初週で57,000枚を売上げ、Canadian Albums Chartで首位を獲得した[80]。
2012年9月、アルバムのプロモーションのためにアリゾナ州はグレンデールでBelieve Tourが始まった[81][82]。2012年12月14日、ビーバーは「エレンの部屋」に出演し、アコースティックアルバム『Believe Acoustic』を発売予定であるということを発表し[83]、2013年1月29日にリリースされた。彼はTwitterで、2013年のいつかにホスト、音楽ゲストとして「サタデー・ナイト・ライブ」に出演するであろうと述べ[84]、2013年2月9日に出演した。2013年3月7日、ビーバーはO2アリーナでのコンサート中に呼吸困難に陥った後ステージ裏で卒倒し、病院へ運ばれた[85][86]。ビーバーは、2013年3月12日にポルトガルはリスボンのアトランティコ・パビリオンで開催予定であった2日目のコンサートをチケット販売不振のためキャンセルした。1日目の11日の公演は予定通り開催された[87]。2013年8月中旬、マイケル・ジャクソンの未発表曲「Slave the Rhythm」にビーバーのボーカルを加えた音源がネット上にリークされた[88]。その後、ラッパーのリル・トゥイストがビーバーとマイリー・サイラスをフィーチャーした「Twerk」の音源もリークされた[89]。
2013年10月3日、クリスマスに公開される伝記映画「Believe 3D」に先駆け、「Music Mondays」と題し10週間にわたって毎週月曜日に2012年に書き留めた新曲をリリースする企画を行うことを発表した。2013年10月7日、Music Mondays第1弾となるシングル「Heartbreaker」がリリースされた。第2弾の「All That Matters」は10月14日、第3弾の「Hold Tight」は10月21日、第4弾の「Recovery」は10月28日、第5弾の「Bad Day」は11月4日、第6弾の「All Bad」は11月11日、第7弾の「PYD (feat. R. Kelly)」は11月18日、第8弾の「Roller Coaster」は11月25日、第9弾の「Change Me」は12月2日、Music Mondays最後となる第10弾シングル「Confident (feat. Chance The Rapper)」は、12月9日にリリースされた。「Believe 3D」の監督は「ジャスティン・ビーバー ネヴァー・セイ・ネヴァー」に続きジョン・M・チュウが担当した。2013年12月23日にはMusic Mondaysでリリースされた全てを含む楽曲に新たな5曲を追加したアルバム『Journals』をデジタルダウンロードのみで発売した。2014年11月にオーストラリアの歌手コーディ・シンプソンをフィーチャーした「Home to Mama」をリリースした。
2015年:Purpose
2015年2月、ジャックÜと共に「Where Are Ü Now」をリリースした。 この曲は、第58回グラミー賞でベストダンスレコーディングを受賞し[90]、自身初のグラミー賞受賞となった[91]。 また2015年3月には、カーリー・レイジェプセンのシングル「I Really Like You」のミュージックビデオに出演した。
2015年8月28日に、4枚目のスタジオアルバム『Purpose』からの1stシングルとして「What Do You Mean ?」というタイトルの新しいシングルをリリースした。この曲はティーンポップ、エレクトロニックダンスミュージック、そしてアコースティックR&Bの融合で、Billboard Hot 100で自身初の1位を記録したシングルとなった。また、同チャートで初登場1位を記録した最年少の男性アーティストとなり、ギネス世界記録を獲得した[92]。10月23日にはアルバムの2ndシングル「Sorry」をインスタントダウンロードとしてリリースし、Billboard Hot 100で初登場2位だった。 2016年1月23日付のチャートで1位に上がり、同チャートで1位になった2番目のシングルとなった。3rdシングル「Love Yourself」も米国で1位を記録し、ジャスティン・ティンバーレイクのアルバム「FutureSex / LoveSounds」(2006年/2007年)以来、アルバムから3曲で1位を手にした。2月12日には最初の4枚のアルバムが初めてレコードでリリースされた。
『Purpose』は2015年11月13日にリリースされ、Billboard Hot 200で初登場1位を記録し、そのチャートで初登場1位を記録した自身6番目のアルバムになった[93]。このアルバムは2015年の4番目に売れたアルバムで、全世界の売上は310万枚だった[94]。2017年6月時点で全米で450万枚以上、世界では1,300万枚以上のセールスを記録している[95]。その他にも様々な記録を残し、ギネス世界記録で8タイトル獲得した[96]。グラミー賞の「ベストダンスレコーディング」を受賞[97]。2015年11月11日に「Purpose World Tour」発表した。ツアーは、2016年3月9日にワシントン州シアトルで開始されたが、2017年7月24日に「不測の事情」によりツアーの残りの日程をキャンセルした[98]。その後、自身のインスタグラムで精神的な問題が原因だと述べている[99]。
2016年 - 2019年:Despacito、I don't care、Bad guy などの様々なコラボレーション
2016年・2017年は多くのアーティストとコラボレーションして曲を出した。2016年7月22日にメジャー・レイザーとMØと共に「Cold Water」をリリースした。この曲はBillboard Hot 100で初登場2位を記録した。8月にはDJ Snakeと「Let Me Love You」をリリースした。この曲はBillboard Hot 100で4位に達した。9月にはポスト・マローンと彼のデビューアルバム『Stoney』からの第4弾シングルとして「Deja Vu」をリリースした。2017年1月には、グラミーへの不信感から4部門にノミネートされていた第59回グラミー賞を欠席した[100]。4月16日、ルイス・フォンシとダディー・ヤンキーは、ビーバーをフィーチャーした彼らの曲「Despacito」のリミックスをリリースした。この曲はビーバーがスペイン語で歌う初めての曲だった。 このリミックスはオリジナル版をBillboard Hot 100のトップ10にまで押し上げ、1996年の「恋のマカレナ」以来のほとんどスペイン語の曲でBillboard Hot 100のトップ10を獲得した曲となった[101]。7月18には全てのストリーミングサービスで計460億再生回数を記録し、史上最多の再生回数になった[102]。その他にも様々な記録を打ち立てた[103][104]。
2017年4月28日にリリースされたDJキャレドのシングル「I'm the One」に、クエヴォ、チャンス・ザ・ラッパー、リル・ウェインと共に参加した。この曲はBillboard Hot 100で1位になった。翌週には「Despacito」が1位になり、異なる楽曲で全米シングルチャート1位を2週連続で獲得した全米ビルボード史上初のアーティストとなった[105][106]。6月9日、デヴィッド・ゲッタとシングル「2U」をリリースした。8月17日にはブラッドポップとシングル「Friends」をリリースした。2018年1月には次のアルバムが完成するまで公の場には姿を現さないとして、3部門でノミネートされていた第60回グラミー賞に出席しなかった[107]。7月にリリースされたDJキャレドのシングル「No Brainer」に、クエヴォ、チャンス・ザ・ラッパーと共に参加した。
5月8日にはアリアナ・グランデと共作で「Stuck with U」をリリースした。9月18日にはチャンス・ザ・ラッパーとのコラボで「Holy」を、10月15日にはベニー・ブランコとの「Lonely」をリリースし、これらは新作アルバムからの発表となった。11月20日にはショーン・メンデスと、彼のアルバムに含まれる「monster」をリリース。
2021年:Justice
2021年2月26日に6枚目のアルバム『Justice』が3月19日に発売された。同アルバムからリリースされたシングルの「Peaches」はBillboard Hot 100にて自身通算7曲目となる首位を獲得した[115]。またアルバムはBillboard 200で8作目の初登場1位を記録し、シングル、アルバムの両チャートで1位を記録した。Hot 100とBillboard 200でそれぞれ同時に初登場1位を獲得したのは、昨年2回達成したテイラー・スウィフトと、BTSに続く歴代3組目の快挙で、男性ソロ・アーティストとしては初となった[116]。
ビーバーはアッシャーと同じ14歳のときに契約したが、アッシャーは「俺は成功力を高めるチャンスを得られた。これが突然にビーバーにも起こったってわけなんだ。」とコメントしている。ビーバーは常にアッシャーやブラウン、ビーバーのボディーガードであるケニーといった大人たちに囲まれており、名声やパブリックイメージの扱い方の指導を受けている[19]。ビーバーとの契約後、アッシャーは元アシスタントの一人であるライアン・グッドをビーバーの地方公演マネージャーかつスタイリストに任命した。ビーバーの「swagger coach(スタイルの師匠)」と愛称をつけられたグッドは、ビーバーのために野球帽とトレーナーとドッグタグと派手なスニーカーを合わせたスタイル「streetwise look(世慣れたルック)」を創りだした。ロサンゼルス・タイムズ誌のAmy Kaufmanは「ビーバーはオンタリオ州ストラトフォード郊外で中流階級の家庭の元育ったが、服装や話し方(「Wassup man, how you doin'?(おっす、元気?)」や「It's like(って感じ)」、「you know(えっと)」、「whateva'(whateverのスラング)」)からお気に入りのラッパーの真似をしているのがわかる。」とコメントしている[121]。
2011年2月、ビーバーはローリング・ストーン誌で意見を述べた[138]。禁欲について質問されると、「もし相手を愛していないならセックスはすべきでないと思う。」と答えた。また、「人工妊娠中絶をよくない」と思っており、「赤ちゃんを殺すようなもの」であると述べた[139]。性的指向については「みんな自身の決定」だと述べた[140]。ビーバーはSuicide among LGBT youth(LGBTの若年層における自殺)を予防することを目指すIt Gets Better Projectに寄付した[141][142]。
プロ野球選手のシェーン・ビーバーが2019年8月に自分の公式選手カードの名前が「ジャスティン」と誤記されている写真をツイッターに投稿すると、ジャスティンが反応。「僕たちは特別な繋がりがあるみたいだね。」と返信した。さらに、カードの制作会社トップス(英語版)社の公式アカウントもジャスティンの楽曲「ソーリー(英語版)」の歌詞を引用し、「ごめんねっていうのはもう遅い?(Is it too late to say sorry?)」とユーモアたっぷりに謝罪をした[152]。これを受けてシェーンがプレイヤーズ・ウィークエンド(英語版)での愛称を「NOT JUSTIN(ジャスティンじゃない方)」に設定する自虐ネタを披露。これに対し、ジャスティンも自身のSNSに投稿した動画で「NOT SHANE BIEBER(シェーン・ビーバーじゃない方)」と記された特製のインディアンスのユニフォーム姿を着用する粋な計らいを見せた[153]。
ジャスティンのチャームポイントでもあったモップヘアーを短く切った時の髪のごく一部がオークションで4万668ドル(約330万円)の値がつき、落札された。
エレン・デジェネレスが司会をする、アメリカのトーク番組「The Ellen DeGeneres Show」に出演したときに司会者にそれをプレゼントし、デジェネレスは、収益が児童虐待や動物虐待の被害者を支援する団体「The Gentle Barn Foundation」へ寄付され、さらに次回の番組出演時に本人に会えるという条件でeBayに出品した[185]。
2011年5月18日、ワールド・ツアー(My World Tour)で来日中のジャスティンが、東京都内のアメリカ大使の公邸で東日本大震災で被災した子どもたちと交流をした。
さらに今回の来日公演の収益を被災者救済のために寄付することも約束。また、「僕もこれからはいいことしか起こらないと信じたいです。今回の震災で被害を受けた人に僕の祈りを届けたいです」とコメントした。
^“The Official New Zealand Music Chart”. Recording Industry Association of New Zealand. March 31, 2010閲覧。 “Note: Week commence on Monday, March 29, 2010”
^Saxberg, Lynn (February 17, 2011). “Baby Baby —better be born in Canada; Bieber disses American health care —and says no to abortion”. The Ottawa Citizen: p. A.4