ケンタッキー・ワイルドキャッツ
ケンタッキー・ワイルドキャッツ(英語: Kentucky Wildcats, 略称: UK)は、アメリカ合衆国・ケンタッキー州レキシントンに本部をおくケンタッキー大学の学生スポーツチームの愛称である。NCAAのディビジョンI、サウスイースタン・カンファレンス(SEC)に所属している。ワイルドキャッツのファンからはしばしばビッグブルーネーション(Big Blue Nation)と呼ばれ、最大のライバル校はルイビル大学である。現在、19種目のスポーツチームで構成されている。 概要→「ケンタッキー大学 § スポーツ・サークル・伝統」も参照
NCAAディビジョン1、サウスイースタン・カンファレンス(SEC)に所属している。男子バスケットボールチームが全米大学の中でも屈指の強豪と知られており、勝利数の2,320勝(2020-2021シーズン終了時)は全米大学体育協会(NCAA)のディビジョン1において全米第1位であり、史上最高の勝率(.762)を収めている。また1948年、1949年、1951年、1958年、1978年、1996年、1998年、2012年の合計8度全米制覇を成し遂げており、こちらはUCLAに次ぐ第2位。2019年時点で、107名のNBA選手を輩出している[1]。また、所属のSECはアメフトの大学最強リーグとして名高く、同リーグ所属の12校を「10校のアメフト大学と1校のバスケ大学に1校の勉学校」と揶揄する言葉もある。このうちバスケ校がケンタッキー大学のことであり、勉学校はテネシー州にある私立の名門、ヴァンダービルト大学を指している。 代表スポーツ
バスケットボール1890年代頃から、ケンタッキー大学の学生たちは、近隣の大学とフットボールの試合を組むようになった[2]。バスケットボールは1902年に女子プログラムから始まり[2]、1年後に男子チームも加わった。数十年後の1930年、当時高校でコーチをしていたアドルフ・ラップが同大学のヘッドコーチに採用され、1972年まで40年以上にわたるキャリアを積んだ[3]。在任中、ワイルドキャッツを1948年、1949年、1951年、1958年の4度のNCAA王座に導いた[2]。その後、1978年にジョー・B・ホール、1996年にリック・ピティノ、1998年にオーランド・タビー・スミス、そして2012年にジョン・カリパリコーチのもとで全米チャンピオンを果たしている[2]。カリパリは2009-10シーズンから監督を務めている。 主な出身選手2021年に行われたNBAドラフトの終了時点で、これまでにワイルドキャッツ出身の選手は1巡目で55名が指名されており、これは全米大学の中で1位である[4]。 主な出身選手として、バム・アデバヨ、ダン・イッセル、アントワン・ウォーカー、ジョン・ウォール、デマーカス・カズンズ、マイケル・キッド=ギルクリスト、ショーン・ケンプ、アンソニー・デイビス、ブランドン・ナイト、ナーレンズ・ノエル、サム・ブーイ、ディアロン・フォックス、デビン・ブッカー、テイショーン・プリンス、タイリース・マキシー、クリフ・ヘイガン、ジャマール・マッシュバーン、ジャマール・マレー、パット・ライリー、ジュリアス・ランドル、ラジョン・ロンドなどが挙げられる。 男子→詳細は「ケンタッキー・ワイルドキャッツ男子バスケットボール (英語版)」を参照
ケンタッキー大学男子バスケットボールは、全米大学の中でも傑出した名門校として知られ、カレッジ・バスケットボール史上最も勝利数の多いプログラムとなっている。2009年12月21日にドレクセル大学戦で勝利したことにより、ディビジョンIのチームとして史上初の通算2000勝を達成している[5]。また、2020-21シーズン終了時点で通算2327勝728敗で歴代最高勝率(.761)を誇り、NCAAの全大学でトップである。AP通信、ブリーチャー・レポートやCBSスポーツのスポーツ専門紙が発表した「史上最も偉大なカレッジバスケットボールプログラム」において、UCLAブルーインズやノースカロライナ大学ターヒールズ、カンザス大学ジェイホークスなどの名だたる名門校を上回る、1位にランクインしている[6][7][8]。 これまでに、NCAA男子ディビジョンIバスケットボール選手権を合計8回制覇しており、UCLAの11回に次いで2番目に多い記録となっている。UKの8回の優勝は、1948年、1949年、1951年、1958年のアドルフ・ラップ、1978年のジョー・B・ホール、1996年のリック・ピティーノ、1998年のタビー・スミス、2012年のジョン・カリパリの5人の監督によってもたらされたものである。1933年と1954年はヘルムズ・ナショナル・チャンピオンシップを受賞し、1934年、1947年、1948年には、プレモ=ポレッタ・パワー世論調査によって遡ってナショナル・チャンピオンと認定された[9][10]。また、1946年と1976年の2度のNITチャンピオンに輝き、SECのレギュラーシーズンでは45回の優勝を果たしている。2009-10シーズン以降、ジョン・カリパリは、2010年のNBAドラフト1巡目指名選手5名、2012年のNBAドラフト指名選手6名を含む、1年生を中心としたラインナップを生み出し、「ワン・アンド・ダン(one-and-done)」方式でワイルドキャッツを指導してきた。 女子→詳細は「ケンタッキー・ワイルドキャッツ女子バスケットボール (英語版)」を参照
ケンタッキー大学初の女子バスケットボールチームは1902年に結成され、1903年2月21日に初戦を迎えた。しかし、1924年に大学上院は、「バスケットボールは男子にとって激しいスポーツであることが証明されており、女子には激しすぎる 」という理由で、女子バスケットボール廃止の法案を可決した。1974年、50年ぶりに女子バスケットボールが正式種目となり、チームは「レディ・キャッツ」のニックネームで呼ばれ、デビー・ヨウが監督を務めた。 1982年、UK歴代得点王のヴァレリー・スティル、パティ・ジョー・ヘッジズ、リー・ワイズが率いるレディ・キャッツはSECトーナメントを制覇した。翌年も同じトリオがチームを率いて、チーム史上最高の全米ランキング4位を獲得した。 フットボール→詳細は「ケンタッキー・ワイルドキャッツ・フットボール」を参照
ケンタッキー大学フットボールチームは、1973年にストール・フィールドに代わって建設されたクローガー・フィールド(1973年から2017年までは旧コモンウェルス・スタジアム)でホーム試合を行っている。
ポール・ブライアントは、8シーズンにわたり同大学のヘッドコーチを務めた。ブライアントの指揮の下、ワイルドキャッツは1947年のグレートレイクスボウルで優勝、1950年のオレンジ・ボウルでは敗れたが、1951年のシュガーボウルと1952年のコットンボウルクラシックで優勝した。AP最終世論調査では、1949年に11位、1950年に7位、1951年に15位、1952年に20位、1953年に16位にランクインしている。
1976年のワイルドキャッツはフラン・カーチ監督の下、後にミシシッピ州立大学が剥奪した敗戦を遡及してサウスイースタン・カンファレンス・チャンピオンのシェアを獲得し(カンファレンス・チャンピオンのジョージア大学にホームで敗れたものの)、ピーチボウルで優勝、最終AP世論調査で18位となったのである。1977年は10勝1敗でSEC戦は無敗だったが、AP投票で6位となったものの、NCAAの制裁によりボウルゲームには出場しなかった。また、ケンタッキー大学はレギュラーシーズン中にペンシルベニア州立大学に勝利していたにもかかわらず、ペンシルベニア州立大学は5位で終了した。 全米大学選手権優勝()内は優勝回数を示す。
脚注
外部リンク |