クルク島クルク島(クルクとう、英語: Krk、クロアチア語: Krčki、イタリア語: Veglia、ドイツ語: Vegl、ラテン語: Curicta)は、クロアチアのアドリア海北に浮かぶ島。行政上はプリモリェ=ゴルスキ・コタル郡に属している。 位置・地勢人口19,916人(2021年)。アドリア海の島で最も人口が多い。最大の町は人口6,816人(2021年度時点)を抱えるクルクである。その他にも町村がある。 1980年に掛けられた長さ1,430メートルのクルク橋(Krčki most)を通じてクロアチア本土と結ばれており、南ドイツや東欧から観光客が訪れる。40年以上が経ち潮風による劣化が進んでいることや、観光シーズンの渋滞を解消するため、4車線道路と鉄道線路を併せ持つ新しい橋を建設中である。鉄道はオミサリのリエカ空港に接続する。2030年に開通予定である[1]。 歴史島には紀元前10世紀から人が定住している。古代ローマ人は島をクリクタ(Curicta)と呼んでいた。ローマ内乱時代、クリクタの湾でユリウス・カエサル対ポンペイウスの艦船が海戦を繰り広げた。1,000年以上、島はダルマチア語の方言ヴェグリオットの中心地であった。島は伝統的にクロアチア文化の中心であった。グラゴル文字で多様な文学作品が創られ、その一部は島に保存されている。クルクには中世の司教座があり、重要な貴族フランコパン家に支配された。 クルクは中世からヴェネツィア共和国の支配下にあり、1797年のカンポ・フォルミオ条約以後はイストリアとともにオーストリア帝国領となった。第一次世界大戦後、島はイタリアに併合され、第二次世界大戦後にユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一部となった。 脚注
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