キール (カクテル)
キール (Kir) とは、ショートドリンクに分類されるカクテルの一種で [1] 、白ワインに少量の黒スグリ(カシス)のリキュールを加えたものを言う。「ヴァン・ブラン・カシス」(vin blanc cassis) とも呼ばれる。 フランスのブルゴーニュ地方にあるディジョン市の市長であったフェリックス・キール(Felix Kir) [注釈 1] によって考案されたと伝えられ、このカクテルの名称は彼の姓に由来する。 なお、このカクテルには派生したカクテルが幾つか存在する。(詳しくは、「バリエーション」の節を参照。) 歴史このカクテルを考案したのは、フェリックス・キール(キャノン・フェリックス・キール/Canon Felix Kir)である [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [1] [11] [12] 。 このカクテルが世に出たのは、第二次世界大戦後のこと [4] [13] [7] [14] [15] 。 第二次世界大戦終結は1945年であるが、すでにこの年には考案されていたとも言われる [13] 。 第二次大戦後、ブルゴーニュ産のワインは出荷が伸び悩む状態が続いていたが [16] 、このことがこのカクテルの誕生に影響しているとされる。ディジョン市はブルゴーニュ地方の中心的都市であるが、ワイン生産が盛んな地域であり、ワインの売れ行き不振は地元経済にとって大きな打撃となる。そのような時、ディジョン市長の座にあったフェリックス・キールが 、白ワインをベースとしたカクテルを創作して、それを普及させることで、地元ワインの販促を図ることにしたのである [17] [16] 。 ディジョン市周辺は、カシスやブドウの栽培が行われており、カシス・リキュール [注釈 2] や白ワイン [注釈 3] も生産されているが、フェリックス・キールはこの両方の酒を使ったカクテルを考案した。彼はブルゴーニュ地方特産の辛口白ワイン「アリゴテ」と、同じくブルゴーニュ地方特産のカシス・リキュール「クレーム・ド・カシス」を用いて、このカクテルを作ったのである [18] 。 このカクテルで地元の産物を宣伝し [19] 、それにより、両方の酒の販促を狙い [17] 、また、ブルゴーニュ地方の農業振興にもつなげようとしたのである [18] 。 そして、このカクテルを普及させるために、ディジョン市の公式歓迎会(レセプション)では必ずこのカクテルを供するなどのPR活動を行った [16] [20] [21] [8] [22] [2] [3] [23] [4] [17] [7] [9] [10] [24] [18] [12] 。 なお、この時、このカクテルを食前酒として薦めていた [5] [2] [3] [23] [4] [17] [25] [7] [9] [18] 。 ともあれ、このようなPR活動の結果普及したこの「ディジョン市公式カクテル」は、いつしか市長の姓にちなみ「キール」と呼ばれるようになったのである [16] [21] 。 キールは、ヨーロッパにおいて、1960年代には広く飲まれるカクテルとなっていた [13] 。 この結果、フランソワーズ・サガンの小説『1年ののち』に登場するなど [26] 、文学作品にも取り上げられるようになった。 このカクテルを創作した理由に、酒の販促目的があったのは先述の通りである。日本でクレーム・ド・カシスの販売量が伸びるきっかけとなったのは、このカクテルが流行したことによるわけであり [22] 、これなどは実際に販促につながった例だと言うことができる。 標準的なレシピ
作り方カシス・リキュールを入れたワイン・グラスに、よく冷やした辛口の白ワインを注ぎ、軽くステアする 。 なお、一般的なコールドドリンク(冷たいタイプのカクテル)とは違って、このカクテルの作成過程には、氷を使用して材料を冷却する工程が無い上、グラスにも氷が入っていないので、カシス・リキュールも含めて、材料はあらかじめ良く冷やしておくことが望ましい。同様にグラスもよく冷やしておく方が、より望ましい。 備考
バリエーション
関連したカクテル「偽物のキール」という意味のフォー・キール(Faux Kir)と呼ばれるカクテルも存在する [36] 。 なお、フォー(Faux)はフランス語である。フォー・キールは、ノンアルコールカクテルなので、全ての材料が酒であるキールとは別なカクテルであり、バリエーションのカクテルとも言えない、その名の通り「偽物」と言える。レシピは、ラズベリー・シロップ30mlを、適量の無色のグレープ・ジュースで割るだけだ。なお、フォー・キールにはレモン・スライスが飾られる場合もある [36] 。 日本での扱い日本でのキールというカクテルの広まり方には、1つの特徴がある。それは、カクテル、つまり、酒であるにもかかわらず、バーではなく、レストランで先に取り入れられたと言う点だ。このように新しいカクテルの発信が、バーではなく、レストランで行われたというのは、日本の飲食業界史上において初めてのことであった[37]。カクテルに関する情報の発信源は、それまでは基本的にバーテンダーによるものだったのである[37]。 日本でワインが一般的に楽しまれるようになってきたのは、1970年頃で、そんな中、1972年には、サントリーが「金曜日はワインを買う日」といったコマーシャルを流したりもした[37]。時を同じくして、日本のレストランもワインの販売に力を入れる所が現れ始めた[37]。そして、レストランでは食前酒を積極的にすすめるようになり、その後、この食前酒として、キールが定番となっていったという経緯がある[37]。 対して、当時の日本のバーは、アルコール度数の高い酒を飲む客を主な相手としており、ワインは洋酒の範疇に入る酒とは見なさず、酒場に揃えるべき酒ではないという風潮があった[38]。そんな中、キールの流行が日本のレストランで発生したのである。このキールの流行を受け、相変わらずワインは酒場の酒ではないとして捨て置いた保守的なバーテンダーと、ワインやワインを使用したカクテルも取り入れていったバーテンダーとに分かれた。後者のバーテンダーには、比較的若いバーテンダーが多かった[37]。したがって時代が下ると共に日本のバーでもワインが商品として加わってゆき、キールもバーで作られるようになったのである[38]。 このように、日本ではキールは主にレストランなどで飲まれてきたカクテルであり、このカクテルが日本のバーでも広まったのは1980年代になってからである[13]。 なお、こうして日本でも知られるようになったキールは、森瑤子の『誘惑』に登場するなど[12]、日本の文学作品にも取り上げられるようになった。 注釈
出典
主な参考資料
関連項目 |