カール=ハインツ・シュネリンガー
カール=ハインツ・シュネリンガー(Karl-Heinz Schnellinger, 1939年3月31日 - 2024年5月20日)は、ドイツ出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。 1960年代のドイツを代表するディフェンダー。屈強な身体と豊富な運動量を駆使したプレーを特徴とし[3][4]、主に左サイドバックを担当したが、右サイドバック、ストッパー、リベロとしてもプレーが出来るユーティリティープレイヤーだった[3]。クラブレベルでは選手生活の大半をイタリアで過ごし成功を収めた[5]。 経歴シュネリンガーはデューレンで生まれ育ち10歳の時に地元のSGデューレン99の下部組織に入団した。1956年にデューレンのトップチームに昇格すると、1957-58シーズンの2.リーガ・ヴェストでは21試合に出場し6得点を記録した[6] 1958年に1.FCケルンへ移籍するとハンガリー出身のサボー・ペーテル監督の下で出場機会をつかみ1960年のドイツ・サッカー選手権で準優勝に貢献。2年後の1962年の選手権では1.FCニュルンベルクを下して優勝に貢献し、同年に年間最優秀サッカー選手賞を受賞した。1963年にケルンを退団するまでの8シーズンの間に国内リーグ戦131試合に出場し8得点を記録した[7]。 1963年にイタリア・セリエAのACマントヴァに移籍するとACミラン戦でデビューを果たし、4-1の勝利に貢献した。ASローマを経て1965年にACミランへ移籍。ミランでは9年間に渡ってクラブに在籍し国内では1967–68シーズンのセリエA優勝、国際舞台では1968-69シーズンのUEFAチャンピオンズカップ優勝、1967-68シーズンと1972-73シーズンのUEFAカップウィナーズカップ優勝、1969年のインターコンチネンタルカップ優勝に貢献した[3]。 西ドイツ代表としては1958年4月2日のチェコスロバキア戦で代表デビューをし[2]、4度のFIFAワールドカップに出場するなど国際Aマッチ47試合出場1得点を記録した[2]。選手キャリアのハイライトシーンとしては1970年のFIFAワールドカップ・メキシコ大会準決勝のイタリア戦、試合終了直前にユルゲン・グラボウスキのアシストから得点を決め、1-1の同点に追いついた場面が挙げられる[3]。試合は延長戦に突入すると点の取り合いとなり3-4のスコアで西ドイツが敗れたが、「世紀の試合(英語: Match of the Century、ドイツ語: Jahrhundertspiel)」と称して語り継がれている[5][8]。 クラブレベルでは1974年にACミランを退団して故国のドイツへ戻り、ブンデスリーガ1部のテニス・ボルシア・ベルリンへ移籍したが[8]、シーズン終了後に現役を引退した[5]。 引退後は選手時代を過ごしたイタリアのセグラーテに在住し食品会社の広報担当責任者として勤務していたが[5][8]、2007年に腸管出血を患うなど体調を崩したことを契機に退社した[8]。 2024年5月20日の夜にミラノの病院で死去。85歳没[9][10]。 個人記録クラブでの成績
注1 ドイツ・サッカー選手権の成績。 注2 インターコンチネンタルカップの成績。 代表での成績
代表での得点
脚注
外部リンク |