インド門
地図
インド門 (India Gate, 原名は全インド戦争記念碑 (All India War Memorial)) はインド のデリー にある慰霊碑 。ニューデリー の「儀式の軸」の東端にあるラジパース(以前はキングスウェイと呼ばれた)に沿って建つ戦争記念碑である[ 1] 。1914年 から1921年 の間に第一次世界大戦 、フランス 、フランドル 、メソポタミア 、ペルシャ 、東アフリカ 、ガリポリ など近・極東、第三次アングロ・アフガン戦争 で戦死したイギリス領インド陸軍 の兵士7万人の記念碑として建てられた。門にはイギリスの兵士や将校を含む13,300人の軍人の名前が刻まれている[ 2] 。エドウィン・ラッチェンス が設計したこの門は、ローマ のコンスタンティヌスの凱旋門 などの凱旋門 の建築様式を思わせ、パリ のエトワール凱旋門 やムンバイ のインド門 に例えられることが多い。
1972年 のバングラデシュ独立戦争 の後、アーチの下には黒大理石の台座に軍用ヘルメットを被せた逆さのライフル を載せ、4つの永遠の炎で囲まれた構造物が建てられた。アマル・ジャワン・ジョティ (不滅戦士の炎)と呼ばれるこの建造物は、1971年以来、インドの無名戦士の墓 となっている。インド門はインド最大の戦争記念碑の一つに数えられており、毎年、共和国記念日 には首相がこのアマル・ジャワン・ジョティに敬意を表して門を訪れ、その後、共和国記念日のパレードが始まる。また、ニューデリーの市民社会 の集会の場ともなっている。
歴史
1930年代にインド門を通過する装甲車
インド門建設は第一次世界大戦 で戦死した兵士の墓や記念碑を建てるために1917年12月に設立された帝国戦争墓地委員会 (I.W.G.C.)の事業の一環だった[ 3] 。 門の礎石は1921年 2月10日 16時30分、英領インド軍 の将校や兵士、帝国戦務部隊 (英語版 ) 、総司令官、インド総督 のチェルムスフォード男爵 が出席した式典で、訪印中のコンノート公爵 によって敷設された[ 4] 。 その場で、総督は「個々の英雄の感動的な物語は、この国の歴史の中で永遠に生き続けるだろう」と述べ、「有名・無名」の英雄たちの記憶に敬意を表した記念碑は、将来の世代にも同じ様な不屈の精神と「それに劣らない勇気」を持って苦難に耐えるように鼓舞するだろうと述べたと伝えられている[ 4] 。 公爵はまた国王からのメッセージを読み上げ、「この場所、インドの首都の中央の展望台に、後世の人々の思いの中に、「戦い、倒れた英領インド軍の将校や兵士たちの栄光の犠牲を残すために設計された記念アーチ 道が建つだろう」と述べた。式典では、第9デカン・ホース (英語版 ) 、第3サッパーズ・アンド・マイナーズ、第6ジャット軽歩兵 (英語版 ) 、第34シーク・パイオニアズ (英語版 ) 、第39ガルフワール・ライフルズ (英語版 ) 、第59シンデ・ライフルズ (辺境軍) (英語版 ) 、第117マラーターズ (英語版 ) 、第5グルカ・ライフルズ (辺境軍) (英語版 ) が、第一次世界大戦中の英領インド陸軍の卓越した功労と胆力を称えられ、「ロイヤル」の称号を授与された[ 4] 。
記念碑の礎石敷設から10年後の1931年 2月12日 、アーウィン卿 はこの記念碑の落成式で、「私たちの後にこの記念碑を見る者は、その目的を考える中で、壁に書かれた名前が記録している犠牲と奉仕の何かを学ぶ事ができるだろう」と述べた[ 5] 。 記念碑の礎石敷設から落成までの10年間、鉄道路線はヤムナー川 に沿って走る様に変更され、1926年 にはニューデリー駅 が開業した[ 6] [ 7] 。
毎晩19:00から21:30までライトアップ されるこの門は、今日ではデリーで最も重要な観光名所の一つとなっている。通行止めになる以前は車がこの門を通っていた[要出典 ] 。共和国記念日パレードはラシュトラパティ・バワン からスタートし、インド門を通過する[要出典 ] 。インド門はニューデリー市民社会の抗議の場として人気があり、歴史的には2012年インド集団強姦事件 、ウナオ強姦事件 (英語版 ) 、反汚職運動 (英語版 ) などに対する抗議が行われている[ 8] [ 9] [ 10] 。
2017年 に、インド門はラッチェンスが設計したもうひとつの記念碑であるイギリス ・レスター の追憶のアーチ (英語版 ) と提携した。両者は非常に似たようなデザインを踏襲しているが、レスターの規模は小さくなっている。式典ではインドの駐英高等弁務官 がレスターのアーチに花輪を、イギリスの駐印高等弁務官がインド門に花輪を捧げた[ 11] 。
デザインと構造
ラジパースから望むインド門
この門はニューデリーの建設者であるだけでなく、戦争記念碑の設計者でもあるエドウィン・ラッチェンス が設計した物である。彼はI.W.G.C.のメンバーであり、ヨーロッパで最も優れた戦争記念碑と墓地の設計者の一人であった。1919年 にはイギリス首相 デビッド・ロイド・ジョージ の依頼を受けて、第一次世界大戦 後初の国家的な戦争記念碑となったロンドンのセノタフ をはじめ、ヨーロッパで66の戦争記念碑を設計した[ 3] 。ラッチェンスは伝記作家クリストファー・ハッシーによると、「宗教的装飾のない普遍的な建築様式」に基づいた記念碑のスタイルである「エレメンタル・モード」に依拠していたという。
「凱旋門の創造的な再構築」と称されて来たインド門の全長は30フィート(約9.1メートル)で、ニューデリーの中央展望台であり主要な儀式の行進ルートであるキングスウェイ(現在のラジパース)の東側の軸方向の端に位置している[ 3] 。 高さ42メートル(138フィート)のインド門は、赤いバラトプル石の低い台座の上に立っており、段階的に巨大なモールディングへと上昇して行く。上部にある浅いドーム型のボウルは、記念日には燃える油で満たされる様に意図されていたが、これはめったに行われない[要出典 ] 。 インド門とその六角形の複合体は、直径が約635メートルで面積は約306,000平方メートルである[要出典 ] 。
碑文
インド門の軒には帝国の太陽が刻まれているが、アーチの両側にあるローマ数字 のMCMXXIV ('1914'; 左側)とMCMXIX ('1919'; 右側)に挟まれる形で大文字で「INDIA」と刻まれている。大文字のINDIAの下には、以下のようなエピタフ が刻まれている。
TO THE DEAD OF THE INDIAN ARMIES WHO FELL AND ARE HONOURED IN FRANCE AND FLANDERS MESOPOTAMIA AND PERSIA EAST AFRICA GALLIPOLI AND ELSEWHERE IN THE NEAR AND THE FAR-EAST AND IN SACRED MEMORY ALSO OF THOSE WHOSE NAMES ARE HERE RECORDED AND WHO FELL IN INDIA OR THE NORTH-WEST FRONTIER AND DURING THE THIRD AFGHAN WAR
(日本語訳)
フランス、フランダース、メソポタミア、ペルシャ、東アフリカ、ガリポリ、その他近極東の各地で倒れ、神聖な記憶の中で称えられているインド軍の戦死者たちへ また、インドや
北西辺境州 (英語版 ) で、第三次アフガン戦争中に戦死した人々の名もここに記す
門の上部に刻まれた碑文
13,218人の戦没者が門に名を刻まれ記念されている[要出典 ] 。デリー・メモリアル(インド門のウェブサイトで、名前とそれぞれの死亡日、部隊名、連隊名、名前が刻まれている門の場所やその他の情報が記載されている)で見ることができるが、セキュリティ上の理由から、記念碑の名前を読む事は制限されている[要出典 ] 。門には、1917年 に戦死した領土軍 (英語版 ) の女性看護師の名前も含まれている[ 12] 。
天蓋
インド門付近の天蓋
スバス・チャンドラ・ボース 像の公開式
インド門から東へ約150メートル、6つの道路が交差する場所に、6世紀のマハーバリプラム のパビリオンをモチーフにした高さ73フィートのキューポラ がある。ラッチェンスは、ドーム型の天蓋とそのチャジャ (英語版 ) を支えるために、4本のデリー式のオーダー を用いた[ 13]
[ 14] 。
天蓋は、その年に没したインド皇帝 ジョージ5世 の追悼の一環として1936年 に建設され、チャールズ・サージェント・ジャガー (英語版 ) 作で高さ70フィート(21.34メートル)の大英帝国王冠 をかぶりイギリスの宝珠 と笏を持った、戴冠式の衣装姿のジョージ5世の大理石像を覆っていた[要出典 ] 。1936年 から1968年 に撤去されるまで、この像は王室の紋章とGEORGE V R I.の碑文が刻まれた台座の上に立っていた。「R I」は「Rex Imperator」または「King Emperor」としてジョージ5世を意味している[ 15] 。 天蓋の上には元々、金色に輝くチューダー王冠 (英語版 ) があり、ジョージ5世のロイヤル・サイファ (英語版 ) が飾られていたが、1958年 8月12日 に撤去された[ 16] 。
像は1947年 のインド独立後20年間、元の場所に立ったままであったが、特に独立10周年と1857年 に起こったインド大反乱 100周年を境に、インドの一部政治家からの反対の対象となった[ 15] 。 1965年 の独立記念日 の2日前、サミュクタ社会党 (英語版 ) のメンバーが警備していた2人の警官を制圧し、像にタールをかけ、王冠、鼻、片耳を汚し、スバス・チャンドラ・ボース の写真をモニュメントに残した[ 15] 。 インド政府は像の移転を決定したが、このような姿勢を取った事に対しかなりの批判に直面した[要出典 ] 。イギリス政府は、適切な場所や十分な予算がない事を理由に、像をイギリスに返還するという提案を却下し、ニューデリーのイギリス高等弁務官事務所は、スペースが限られていることを理由に像の移転を拒否した[ 15] 。 デリーの公園に像を移そうとする努力は、当時デリーで権力を握っていた民族主義政党インド大衆連盟 (英語版 ) によって強く反対された[ 15] 。 最終的に1968年末、像は天蓋の下から撤去され、一時的に保管された後、デリーのコロネーション・パーク (英語版 ) に移され、他の英領インド時代の像と一緒になった[ 15] 。
像の撤去が議論されている間も撤去後も、天蓋の下にマハトマ・ガンジー の像を設置することがしばしば提案された[ 15] 。この提案はインド議会でも議論された[要出典 ] 。 1981年 、政府は議会での質問に答えて、空になった天蓋の下にガンジー像を設置することを検討している事を確認したが、実行されなかった[ 17] 。
2022年9月8日、天蓋の下に設置される高さ28フィート のスバス・チャンドラ・ボース の花崗岩 が公開され、首相 のナレンドラ・モディ が公開式に参加した[ 18] 。
アマル・ジャワン・ジョティ
インド門のアーチの下にあるアマル・ジャワン・ジョティ
アマル・ジャワン・ジョティ(不滅兵士の炎)は、1971年 12月のバングラデシュ独立戦争 で戦死したインド人兵士を追悼するためにインド門の下に建立された、黒大理石の台座に軍用ヘルメットを被せた逆さのL1A1 自動小銃 を載せ、圧縮された天然ガス の炎からの恒久的な光(ジョティ)で照らす4つの壷で結ばれた構造物である[ 19] 。 1972年 1月26日 の第23回インド共和国記念日 に、当時のインディラ・ガンジー 首相によって落成した[ 20] 。 アマル・ジャワン・ジョティが設置されて以来、インドの無名戦士の墓 として機能している[要出典 ] 。 軍が24時間体制で警備している[要出典 ] 。アマル・ジャワン・ジョティには、共和国記念日、戦勝記念日 (英語版 ) (Vijay Diwas)、歩兵の日には、首相と軍の参謀長によってリース が置かれる[ 21] 。歩兵の日は1947年 10月27日 にインドの歩兵部隊がスリナガルに上陸し、パキスタンの傭兵によるジャンムー・カシュミール藩王国 への攻撃を阻止し、撃退した日の事である。第68回歩兵の日は、陸軍参謀総長ダルビル・シン将軍と、歩兵退役軍人を代表してチャンドラ・シェカール中将(退役軍人)が献花した[ 22] 。
国立戦争記念碑
2014年 7月、政府は天蓋の周囲に国立戦争記念碑を建設し、隣接するプリンセスパークに国立戦争博物館を建設する計画を発表した。内閣はこのプロジェクトのために50億ルピー (約6,600万米ドル)を配分した[ 23] 。 国立戦争記念館は2019年 1月に完成した[ 24] [ 25] 。
ギャラリー
インド国旗の色でライトアップされたインド門
インド門の夕暮れ
インド門の壁に刻まれた戦死者名
インド門前のインド軍旗
インド門を警備するインド軍
アマル・ジャワン・ジョティに献花する
セルゲイ・ショイグ 露国防相
国際麻薬乱用・不正取引防止デー でインド門前に集結した人々、2011年
脚注
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関連項目
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