Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

 

アンドレア・ラノッキア

アンドレア・ラノッキア
インテルでのラノッキア(2011年)
名前
愛称 フロッグ[1]
ラテン文字 Andrea Ranocchia
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1988-02-16) 1988年2月16日(36歳)
出身地 アッシジ
身長 195cm[2]
体重 81kg[2]
選手情報
ポジション DF (CB)
利き足 右足
ユース
0000-1998 イタリアの旗 バスティーア
1998-2004 イタリアの旗 ペルージャ
2004-2006 イタリアの旗 アレッツォ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2008 イタリアの旗 アレッツォ 56 (1)
2008-2011 イタリアの旗 ジェノア 16 (2)
2008-2010 イタリアの旗 バーリ (loan) 34 (3)
2011-2022 イタリアの旗 インテル 170 (9)
2016 イタリアの旗 サンプドリア (loan) 14 (0)
2017 イングランドの旗 ハル・シティ (loan) 16 (2)
2022 イタリアの旗 モンツァ 1 (0)
代表歴2
2007 イタリアの旗 イタリア U-20 3 (0)
2007-2010  イタリア U-21 14 (2)
2010-2016 イタリアの旗 イタリア 21 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年9月21日現在。
2. 2016年3月29日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アンドレア・ラノッキアAndrea Ranocchia1988年2月16日 - )は、イタリアアッシジ出身の元サッカー選手。元イタリア代表。現役時代のポジションはDF

経歴

キャリア初期

ACバスティーア1924で競技生活を開始し、1998年にペルージャ・カルチョへ加入。ペルージャの破産に伴い、2004年に当時セリエBUSアレッツォに移籍。2005-06シーズンはユースチームに所属し、カンピオナート・プリマヴェーラでプレーした。翌シーズンにアントニオ・コンテの下でトップチームでのデビューを果たすも、チームはセリエC1に降格した。

バーリ

2008年8月、ジェノアCFCが共同保有権を取得し、セリエBのASバーリレンタル移籍。翌2009年夏、ジェノアはラノッキアの共同保有権を買い上げたうえで、2009-10シーズンもバーリにレンタルした。レオナルド・ボヌッチと共に強固なディフェンスラインを構築し、A代表入りも期待されたが2010年1月に膝を負傷してシーズン後半を棒に振り、2010 FIFAワールドカップ出場はならなかった[3]。なお2012年8月には、2008-09シーズンのサレルニターナ・カルチョ戦で起きたとされる八百長事件について事情聴取を受けている[4]

ジェノア

2010年夏、レンタル元のジェノアに復帰。同時にインテルがジェノアから共同保有権を取得し、5年契約を結んだ[5]。当初は2010-11シーズンはジェノアCFCでプレーすることになっていたが、インテルのCBワルテル・サムエルが怪我によりシーズン絶望となったことから、12月27日にインテルに完全移籍し、年明けの1月からインテルでプレーすることになった。共同保有権の買い取りにあたり、インテルはジェノアに1250万ユーロを支払った[6]

インテル

2011年1月9日のカルチョ・カターニア戦でインテルデビュー。加入直後からレギュラーに定着し、2月19日のカリアリ・カルチョ戦でインテルでの初得点を決めた。2年目の2011-12シーズンの開幕前には退団したマルコ・マテラッツィの背番号23を受け継いだ[7]。しかし、数度に渡る怪我(肉離れ)の影響もあり[8][9]、不安定なパフォーマンスに終始[10]。11試合の先発出場にとどまった。

2014-15シーズンからは引退したハビエル・サネッティの後継として新キャプテンに就任したが、不安定なパフォーマンスに終始。翌2015-16シーズンにはマウロ・イカルディにキャプテンマークを譲り、新加入のミランダジェイソン・ムリージョにポジションを奪われ出場機会を失った。

2015-16シーズン序盤、ロベルト・マンチーニ下での彼の立場は途中出場要員に格下げされ、この時期にピッチに立ったのはわずか10試合(そのうち8試合は30分以下)だった。

サンプドリア

2016年1月、出場機会を求めてUCサンプドリアへ半年間のレンタル移籍をする[11]。加入直後には失点に関与するミスもあったが、最終的にはポジションを掴み13試合に出場した。

ハル・シティ

2017年1月31日プレミアリーグハル・シティAFCへシーズン終了までのレンタル契約で移籍。これが自身初の国外移籍となった[12]2月1日マンチェスター・ユナイテッドFC戦でプレミアリーグデビューを果たし、2月4日リヴァプールFC戦ではハルの2点目をアシストし勝利に貢献した[13]

インテル復帰

2017年7月、ハル・シティへのレンタル期間が終了しインテルへ復帰。再び新天地を求め退団を希望したが、ルチアーノ・スパレッティが監督に就任したため残留を決意[14]2017-18シーズン前半、スパレッティのファーストチョイスはミラン・シュクリニアルジョアン・ミランダの2人だったがミランダの負傷離脱もあり12月頃から徐々に出場機会を増やし、最終的にリーグ戦とカップ戦合わせて13試合に出場して2011-12シーズン以来のUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献した。

2019年4月29日、インテルとの契約を2021年まで延長した。さらに、アントニオ・コンテがインテルの監督に就任したことで、ラノッキアがプロのサッカー選手になって最初の指導を受けた恩師と再会した[15]。コンテが就任したことによりシーズンの最初の2試合はスタメンとして出場したが、シーズンが進むにつれて再びベンチに降格。それでも2020年2月20日に行われたヨーロッパリーグルドゴレツ戦ではキャプテンとしてスタメン起用され、インテルで200試合出場を達成した。

インテルに在籍して11年目を迎えた2020-21シーズンには、リーグ戦8試合に出場して自身初のリーグタイトルを獲得した。

モンツァ

2022年6月21日、セリエAに初昇格したACモンツァに2024年6月までの2年契約で加入した[16]。しかし、8月21日のナポリ戦で腓骨を骨折し数ヶ月の離脱を余儀なくされ、翌月21日にクラブとの契約解除が発表された[17]。モンツァを去った翌日、自身のインスタグラムにて現役から退くことを表明した[18][19]

代表歴

U-20、U-21イタリア代表に選出されており、北京オリンピック代表の候補にも挙がった。2010年11月16日のルーマニアとの親善試合でA代表デビューを果たした[20]EURO2012では、ケガの影響により最終段階でメンバーから外れ、本大会出場はならなかった[21]

プレースタイル

2m近い長身を活かしての空中戦を得意とする大型センターバック[22]。大柄な体格とは裏腹に、スピードや足元の技術にも優れる。同国人のアレッサンドロ・ネスタの後継者としてネスタ本人からも期待されていた[23][24]

個人成績

クラブ シーズン 国内リーグ 国内カップ 国際大会 合計
リーグ 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
アレッツォ 2006-07 セリエB 24 1 5 0 - 29 1
2007-08 セリエC1 32 0 - - 32 0
合計 56 1 5 0 - 61 1
バーリ (loan) 2008-09 セリエB 17 1 0 0 - 17 1
2009-10 セリエA 17 2 0 0 - 17 2
合計 34 3 0 0 - 34 3
ジェノア 2010-11 セリエA 16 2 1 0 - 17 2
合計 16 2 1 0 - 17 2
インテル 2010-11 セリエA 18 1 4 0 4 0 26 1
2011-12 12 1 3 0 2 0 17 1
2012-13 32 2 3 1 10 0 45 3
2013-14 24 1 2 1 - 26 2
2014-15 33 2 1 0 8 0 42 2
2015-16 10 0 0 0 - 10 0
2016-17 5 0 0 0 4 0 9 0
2017-18 11 2 2 0 - 13 2
2018-19 4 0 3 1 0 0 7 1
2019-20 7 0 3 1 7 0 12 1
2020-21 8 0 1 0 0 0 9 0
2021-22 6 1 1 0 3 0 10 1
合計 170 10 23 4 38 0 231 14
サンプドリア (loan) 2015-16 セリエA 14 0 0 0 - 0 0
合計 14 0 0 0 - 14 0
ハル (loan) 2016-17 プレミアリーグ 16 2 - - 16 2
合計 16 2 - - 16 2
モンツァ 2022-23 セリエA 1 0 1 0 - 2 0
合計 1 0 1 0 - 2 0
通算 307 18 30 4 38 0 375 22

タイトル

セリエA : 1回(2020-21)
コッパ・イタリア : 2回(2010-11, 2021-22)
スーペルコッパ・イタリアーナ : 1回(2021-22)
セリエB : 1回(2008-09)

脚注

  1. ^ ラノッキアはイタリア語でカエルの意
  2. ^ a b Andrea Ranocchia - UEFA.com
  3. ^ なお、センターバックでコンビを組んでいたレオナルド・ボヌッチはW杯のメンバーに選出された。
  4. ^ ラノッキアが八百長事件で捜査? EL欠場か Goal.com 2012年8月2日
  5. ^ インテル、ラノッキア獲得が正式決定 - Goal.com 2010年7月22日
  6. ^ サッカー=イタリア代表ラノッキアがインテルへ - ロイター 2010年12月28日
  7. ^ ラノッキア:「マトリックスの背番号『23』に相応しいプレーを」 - inter.it 2011年7月21日
  8. ^ ラノッキアが調整練習中に故障 - inter.it 2011年9月26日
  9. ^ ラノッキアがケガ、検査の結果 - inter.it 2012年2月23日
  10. ^ ラノッキア:「インテルのユニフォームにふさわしくなりたい」 - Goal.com 2012年7月25日
  11. ^ ラノッキアがサンプドリアへ - inter.it 2016年1月28日
  12. ^ インテル古参DFラノッキア、出場機会を求め渡英 今季後半戦はレンタルでハル・シティへ - theWORLD 2017年1月31日
  13. ^ インテル元主将、プレミアで復活。SNS上で称賛の嵐「子猫から獅子になった」 - フットボールチャンネル 2017年2月5日
  14. ^ インテル残留を決めたラノッキア、「意欲が湧いてくる」ワケとは? - Goal.com 2017年9月22日
  15. ^ インテル、コンテの監督就任を正式発表…年俸14億円の3年契契約か”. 超ワールドサッカー (2019年5月31日). 2019年5月31日閲覧。
  16. ^ BENVENUTO ANDREA RANOCCHIA” (イタリア語). A.C.Monza (2022年6月21日). 2022年7月6日閲覧。
  17. ^ RISOLUZIONE CONSENSUALE CON ANDREA RANOCCHIA - AC MONZA 2022-09-21
  18. ^ Endgame [PARTE 1/2] - Instagram 2022-09-22
  19. ^ Endgame [PARTE 2/2] -Instagram 2022-09-22
  20. ^ Quatre nouveaux alignés d'entrée - L'ÉQUIPE 2010年11月16日
  21. ^ イタリア、ラノッキアとデストロが選考外に - UEFA.com 2012年5月29日
  22. ^ F.C. Internazionale Milano-Andrea Ranocchia inter.it
  23. ^ マテラッツィ:「ラノッキアはネスタになれる」 - Goal.com 2010年11月2日
  24. ^ ネスタ:「後継者はラノッキア」 だがT・シウバも称賛 - Livedoorスポーツ 2011年4月14日

外部リンク

Kembali kehalaman sebelumnya