アイントラハト・ブラウンシュヴァイク(ドイツ語: Eintracht Braunschweig)は、ドイツの北西部、ニーダーザクセン州の都市ブラウンシュヴァイクを本拠地とする総合スポーツクラブである。サッカー部門はかつてブンデスリーガで優勝した経験もある古豪であり、2023-24シーズンは2. ブンデスリーガに所属している。サッカー以外にも、バスケットボール、ハンドボール、水泳、水球など様々なスポーツ部門を抱える。近郊のクラブであるハノーファー96とライバル関係にある。
クラブの歴史
1895年、サッカーとクリケットのスポーツクラブ「FUCCアイントラハト1895」として創設された[1]。1906年に「FCアイントラハト1895」、1920年に「SVアイントラハト・ブラウンシュヴァイク」とクラブ名を改称した[1]。第二次世界大戦後の1945年4月2日にクラブは解散を命じられたが、同年11月2日に「TSVブラウンシュヴァイク」として再編。4年後の1949年4月1日にかつての名称である「SVアイントラハト・ブラウンシュヴァイク」に改称した[1]。
ブラウンシュヴァイクは、1963年のブンデスリーガ発足時の16クラブの一つである。1966-67シーズンには堅固な守備に支えられ、ブンデスリーガ最少失点で(34試合、27失点)リーグ優勝を果たした。当時のキャプテンであったヨアヒム・ベーゼ(ドイツ語版)は元々ストライカーとしてプレイしていたがチーム都合でポジションを下げ、フランツ・ベッケンバウアー以前にリベロのスタイルで活躍した。1973年、当時の会長の友人が社長を務めていたイエーガーマイスター社を胸スポンサーに採用した。ユニフォームに広告を掲載することはまだ解禁されていなかったが、クラブのロゴをイエーガーマイスター社のものに変更し胸に付けることにより、ブンデスリーガで初めてユニフォームにスポンサーを付けたクラブとなった。
1985年に2部へ降格すると、長年のスポンサーだったイエーガーマイスター社が離れ、2年後の1987年には3部へ降格してしまう。再び1993年に3部へ降格した際は、選手にプロとしての給料が払えなくなる財政的な危機に陥るが、半数の選手がクラブに残り働きながらプレーを続けた。その後、2部と3部を行き来する暗黒時代が続くが、3部での平均観客が約9000人、2部では2万人弱のサポーターが来場しクラブを支えた。2012-13シーズンには2部で2位となり、28年ぶりに1部昇格を果たした。しかし1部の壁は厚く、2013-14シーズンでは最下位となり1シーズンで2部へ降格することになった。
タイトル
国内タイトル
- ブンデスリーガ :1回
- 北ドイツ選手権 :2回
- ガウリーガ・ハノーファー南部=ブラウンシュヴァイク :2回
- オーバーリーガ・ニーダーザクセン南部 :2回
- オーバーリーガ・ハノーファー南部/ブラウンシュヴァイク :2回
- ブラウンシュヴァイク地区リーグ :13回
- 1905, 1906, 1907, 1908, 1909, 1910, 1911, 1912, 1913, 1916, 1917, 1918, 1920
- レギオナルリーガ北部(2部リーグに相当): 1回
- アマチュア=オーバーリーガ・ニーダーザクセン東部: 1回
- 3. リーガ: 1回
- レギオナルリーガ北部: 1回
- レギオナルリーガ北部(3部リーグに相当): 1回
- アマチュア=オーバーリーガ・北部: 1回
- ニーダーザクセン・ポカール :2回
国際タイトル
- UEFAインタートトカップ グループ優勝 :7回
- 1968, 1970, 1971, 1972, 1975, 1978, 1979
過去の成績
シーズン
|
ディビジョン
|
DFBポカール
|
リーグ |
試 |
勝 |
分 |
敗 |
得 |
失 |
点 |
順位
|
2008-09
|
ブンデスリーガ3部 |
38 |
12 |
9 |
17 |
46 |
51 |
45 |
13位 |
|
2009-10
|
ブンデスリーガ3部 |
38 |
17 |
11 |
10 |
55 |
37 |
62 |
4位 |
1回戦敗退
|
2010-11
|
ブンデスリーガ3部 |
38 |
26 |
7 |
5 |
81 |
22 |
85 |
1位 |
1回戦敗退
|
2011-12
|
ブンデスリーガ2部 |
34 |
10 |
15 |
9 |
37 |
34 |
45 |
8位 |
1回戦敗退
|
2012-13
|
ブンデスリーガ2部 |
34 |
19 |
10 |
5 |
52 |
34 |
67 |
2位 |
2回戦敗退
|
2013-14
|
ブンデスリーガ1部 |
34 |
6 |
7 |
21 |
29 |
60 |
25 |
18位 |
1回戦敗退
|
2014-15
|
ブンデスリーガ2部 |
34 |
15 |
5 |
14 |
44 |
41 |
50 |
6位 |
ベスト16
|
2015-16
|
ブンデスリーガ2部 |
34 |
12 |
10 |
12 |
44 |
38 |
46 |
8位 |
ベスト16
|
2016-17
|
ブンデスリーガ2部 |
34 |
19 |
9 |
6 |
50 |
36 |
66 |
3位 |
1回戦敗退
|
2017-18
|
ブンデスリーガ2部 |
34 |
8 |
15 |
11 |
37 |
43 |
39 |
17位 |
1回戦敗退
|
2018-19
|
ブンデスリーガ3部 |
38 |
10 |
15 |
13 |
48 |
54 |
45 |
16位 |
1回戦敗退
|
2019-20
|
ブンデスリーガ3部 |
38 |
18 |
10 |
10 |
64 |
53 |
64 |
3位 |
|
2020-21
|
ブンデスリーガ2部 |
34 |
7 |
10 |
17 |
30 |
59 |
31 |
17位 |
2回戦敗退
|
2021-22
|
ブンデスリーガ3部 |
36 |
18 |
10 |
8 |
61 |
36 |
64 |
2位 |
1回戦敗退
|
2022-23
|
ブンデスリーガ2部 |
34 |
9 |
9 |
16 |
42 |
59 |
36 |
15位 |
2回戦敗退
|
2023-24
|
ブンデスリーガ2部 |
34 |
11 |
5 |
18 |
37 |
53 |
38 |
15位 |
1回戦敗退
|
2024-25
|
ブンデスリーガ2部 |
34 |
|
|
|
|
|
|
位 |
1回戦敗退
|
- 出典[4]
- 1963-64 ブンデスリーガ1部 11位
- 1964-65 ブンデスリーガ1部 9位
- 1965-66 ブンデスリーガ1部 10位
- 1966-67 ブンデスリーガ1部 1位
- 1967-68 ブンデスリーガ1部 9位
- 1968-69 ブンデスリーガ1部 4位
- 1969-70 ブンデスリーガ1部 16位
- 1970-71 ブンデスリーガ1部 4位
- 1971-72 ブンデスリーガ1部 12位
- 1972-73 ブンデスリーガ1部 17位 降格
- 1973-74 レギオナルリーガ北部 1位 昇格
- 1974-75 ブンデスリーガ1部 9位
- 1975-76 ブンデスリーガ1部 5位
- 1976-77 ブンデスリーガ1部 3位
- 1977-78 ブンデスリーガ1部 13位
- 1978-79 ブンデスリーガ1部 9位
- 1979-80 ブンデスリーガ1部 18位 降格
- 1980-81 ブンデスリーガ2部北部 2位 昇格
- 1981-82 ブンデスリーガ1部 11位
- 1982-83 ブンデスリーガ1部 15位
- 1983-84 ブンデスリーガ1部 9位
- 1984-85 ブンデスリーガ1部 18位 降格
- 1985-86 ブンデスリーガ2部 12位
|
- 1986-87 ブンデスリーガ2部 17位 降格
- 1987-88 オーバーリーガ北部 1位 昇格
- 1988-89 ブンデスリーガ2部 9位
- 1989-90 ブンデスリーガ2部 7位
- 1990-91 ブンデスリーガ2部 13位
- 1991-92 ブンデスリーガ2部 7位
- 1992-93 ブンデスリーガ2部 19位 降格
- 1993-94 オーバーリーガ北部 2位
- 1994-95 レギオナルリーガ北部 6位
- 1995-96 レギオナルリーガ北部 2位
- 1996-97 レギオナルリーガ北部 2位
- 1997-98 レギオナルリーガ北部 2位
- 1998-99 レギオナルリーガ北部 3位
- 1999-00 レギオナルリーガ北部 3位
- 2000-01 レギオナルリーガ北部 8位
- 2001-02 レギオナルリーガ北部 2位 昇格
- 2002-03 ブンデスリーガ2部 15位 降格
- 2003-04 レギオナルリーガ北部 6位
- 2004-05 レギオナルリーガ北部 1位 昇格
- 2005-06 ブンデスリーガ2部 12位
- 2006-07 ブンデスリーガ2部 18位 降格
- 2007-08 レギオナルリーガ北部 10位
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欧州の成績
現所属メンバー
- 2023年12月8日現在[5]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
ローン移籍
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
歴代監督
歴代所属選手
その他のスポーツ
クラブはサッカー以外にもバスケットボール、ハンドボール、ホッケー、水泳、水球、テニス、体操、ウィンタースポーツなどのスポーツ部門を保有する[6]。
ホッケー
ホッケー部門は1924年に創設された。クラブの女子ホッケー部門は1960年代から1970年代にかけて、ドイツ選手権で6回 (1965, 1969, 1974, 1975, 1976, 1978) 、ドイツ室内選手権で3回 (1973, 1974, 1975) 優勝するなどドイツのホッケー界を牽引した[7]。
バスケットボール
バスケットボール部門は1956年に創設された。クラブの女子部門は2013-14シーズンから2. 女子バスケットボール・ブンデスリーガ(ドイツ語版)に所属している[8]。
参考文献
脚注
関連項目
外部リンク