Template‐ノート:KeyKeyカテゴリにTacticsのソフトを入れるのは反対です。というか、百科事典として明らかな誤記でしょう。人物欄も然りです。久弥氏や涼元氏はすでにKeyスタッフではありません。それに人物のカテゴリを作成するには、どこまでのスタッフを記載させるべきかの議論が必要だと思います。Na-Ga氏は?しのり~氏は?魁氏は?という議論が起こります。私はソフトウェアのみでよいと思っています。--125.103.240.169 2007年2月11日 (日) 11:30 (UTC)
フミオを原画家として入れるべきではないでしょうか? 外注扱いにすべきかが分かりません。 rewriteについてrewriteが全年齢欄に掲載されていますが、レイティングが発表されたのでしょうか? keyのサイトを見ましたがレイティングの記載が見つかりません。手元のコンプティーク200902号別冊付録のkey特集も見ましたが、レイティング未定とありました。 発売前ですし、rewriteは発売までテンプレートから除去することを提案します。クラナドが3度開発中止寸前になったことをふまえると、開発中止になる可能性も0ではないですし。--おはぐろ蜻蛉 2009年4月24日 (金) 12:08 (UTC) セクションリンクについてナビゲーションテンプレートにセクションリンクをするのは推奨されていません。当然リダイレクトリンクも推奨されていません。ですので、リンクするのはやめてください。--TYSGCFAN (会話) 2009年7月24日 (金) 07:47 (UTC)
(インデント戻す)っていうかですね…方針云々よりも技術的な問題なんですよ。セクションリンクをするとそのセクションリンク元のページにテンプレを貼ってもそのセクションリンクが太字にならないんですよ(下手な文章ですが、意味わかります?)。その状態は結果的にループリンクに似たようなものになってしまい、好ましくないんです。--TYSGCFAN (会話) 2009年7月24日 (金) 09:12 (UTC)
(インデント戻します)TYSGCFANさんは、お若いのに大変頑張っていらっしゃるとは思います。が、Wikipediaに参加されている方々は、例えば年齢その他の理由で差別されることなく、みなさん対等な立場でプロジェクトに参加されていると思います(ご自身でモットーとしても掲げてらっしゃいましたね)。なので、私はここでTYSGCFANさんの実年齢がどうのの話をしたい訳じゃないんです。年齢を言い訳にするつもりではないでしょう?また、逆に他の参加者の方から「ガキだから」などと見下されたいわけでもないでしょう?関係ないんです。そして、ご自身よりもベテランであるユーザーが常に正しい、というわけでもないでしょう?あなたも私も、他のユーザーの方も人間です。一時の判断間違いなんてざらにあることです。繰り返しになりますが、ただ謝られても困ってしまいます。特にTYSGCFANさんが折れるわけでもないのに、ただ謝られたところで、はいそうですか、と納得できるものでもございません。話を前に進めましょう。それでは、過ぎたことをあれこれ言っても詮無きことですので「最初にセクションリンクを除去した時点で、TYSGCFANさんがどう考えていたか」という点は、とりあえず置いておきましょう。それでですね、私の提示した上記の疑問を受け、セクションリンクの使用について、今、現在はどうお考えなんでしょうか?私は、上記に挙げたような理由から、「ループリンクっぽい」というのは大した問題じゃないと思っています。まあループリンクっぽい、というか、そもそもループリンクだったら本当に同じページを再読み込みするだけですが、セクションリンクは同ページでも別セクションに飛ぶものなんで、意味合いとして異なるものです。ですから、繰り返しになりますが、その「単なるセクションリンク」が問題になる、ということは考えてないわけです。それよりは、「セクションへのリンクを提供し、そして当該節へ素早く飛べる」という利便性が、TYSGCFANさんの考えていらっしゃる問題点を相殺し、なお大きいものなのではないか、と思っています。雪降る街にしてもそうです。その項目個々への注目度を高めること。そして、Key関係のラジオが、一覧でバッと分かりやすく並んでいるという一覧性。これらがもたらす利便性の方が大きいと思うんです。まず注目度。TYSGCFANさんは新規項目作ったら、他項目から内部リンク貼りますよね?記事の注目度を高めるために。記事本体でなく、節へのリンクだとしても同じことです。まあ、節だとあんまり「孤立」って概念はないでしょうけども。「単独で記事が出来てからでも - 」と仰いましたが、それには記事の分量が増える、というプロセスが必要ですよね。注目度が上がることにより、特にその節を注目して閲覧する方も増え、加筆がなされる可能性も高まるでしょう。これらリンクを除去することにより、注目度が下がっているんです。これは、芽が出ているのに、出たそばから日陰に移すようなものではないでしょうか。これでは発展させようにも、発展を阻害することになってはいませんか?次に一覧性。今回のケースで言えば、このテンプレートでKey関連のラジオ番組がずらりと並んでいるのに、その中に雪降る街だけがない。そうすると、閲覧者の方の中には「あれ?Kanonのドリキャス版出た時にもラジオなかったっけ?それの項目はないのか?」と思う方もいるでしょう。「ループリンクで混乱する」ことによるデメリットよりも、「セクションリンクを機械的に排除した結果、不自然に抜けがあることにより混乱する」デメリットの方が大きいんではないでしょうか。これって、特に案内という使命を持ったナビゲーションテンプレートにとっては、わりと致命的なことだと思うのです。もう一度伺います。私が今まで挙げた点に関して、TYSGCFANさんご自身がお考えになったご意見を、お聞かせください。もちろん、いろいろとご都合があるでしょうし、また私が疑問・意見として挙げたポイントも多くなってしまいましたから、すぐに、とは申しません。私が挙げたポイントのうち、ごく一部だけに中途半端に返答して「答えたよ」と言われても(そういうことをなさる方ではないと思いますが)、また困ってしまいますので。とりあえず脊髄反射で謝ってみる、というのではなく、まずは考えてみてください。私が間違っていると思うのなら、そこを指摘する。ご自身が間違っていたと思うのなら、そこを訂正する。Wikipediaを編集なさる能力のある方にとっては、そのぐらい簡単なことでしょう?それでは、長文乱文失礼いたしました。--Panam 2009年7月25日 (土) 15:39 (UTC)
セクションリンクの件とは関係ないのですが、1点気になったことがございましたので、老婆心ながら書かせてください。一応、今回の件にもちょっとだけ絡んでくる話です。それは、revertについてです。いつからかMediaWikiのバージョンが上がり、履歴ページに「取り消し」というリンクが表示されるようになり、今までより荒らしに対処するためのrevertが簡単に行えるようになりましたね。ですが問題は、追記に対してrevertを行う場合です。手近な例で言いますと、クロスゲームでTYSGCFANさんが2009年7月23日 (木) 12:51(UTC)になさった編集ですね。追記された放送日に対してrevertを行われてますが、私としては、ちょっとこれはどうかな、と思うのです。「系列局でずれるのでrv」ということで、revertされたのに気づいたIPユーザーの方が、次の版で「放送日はテレビ東京系列での日程」というのを書き加えて戻してますね。ポイントはここです。系列局によってずれる、ということにTYSGCFANさんがお気づきになったのであれば、ここはrevertではなく、ご自身が「テレ東での日程」ということを書き加えてあげれば、それで済んだことではないでしょうか?revertというのは、簡単であるがゆえに慎重に行わなければいけない作業だと思うのです。明らかな荒らしに対しては、非常に簡単かつ有用な対処です。ですが、通常の追記の場合、そこには執筆なさった方の労力、というものが割かれているわけですね。revertという荒らし対策に有用な機能は、裏を返せば、「執筆者の方が調べ、キーボードを数十、数百タイプして投稿したものを、たった2,3のクリックで無に帰すことができる」機能だと思うのです。先ほど、セクションリンクの除去につきまして、「出た芽を日陰に移すようなもの」と喩えましたが、このrevertというのは、一歩間違えれば「出た芽を摘んでしまう」機能ではないか、と。このケースではIPユーザーの方がTYSGCFANさんの要約に気づかれたようで、放送局を加えた形で復帰されましたが、この追記をしたのが不慣れなユーザーさんだとしたら、revertされたことに驚き「こういう編集はしてはいけないのだろうか?」と思い、萎縮してそのままになっていたかもしれません。それは、記事の充実を目指すWikipediaというプロジェクトにとって、たいへん不幸なことだと思うのです。Wikipediaという花壇に、荒らしという雑草が生えているならば、それは抜かなければいけません。しかし、多少不完全な芽が生えてきたとしても、それを「これは雑草だな」と判断し、抜いてしまうのではなく、育てる、という観点の方が重要ではないでしょうか?花瓶を割って壊すのは簡単です。その花瓶をのりで貼り合わせて直すこと、もしくは新規に作り直すことの方が、はるかに労力を要することなのです。そして、まさにWikipediaというのは、各個人の労力の積み重ねで成り立っているプロジェクトではないでしょうか?「これは不完全だ」と判断する→「だからrevertしよう」ではなく、「これは不完全だ」と判断する→「どこを直せばより良くなるだろう?」と考える→その追記に沿った形でさらに書き加える、という方が良いものができるし、執筆者に対してもプラスに働くと思うのです。まあ、私がこれまでだらだらと書き連ねた文章はHelp:以前の版にページを戻す方法の序文にある「一般に、差し戻しは荒らし行為への対処として推奨される行為です。通常の投稿者が記事に対して寄与すると確信して行った編集への対処としては、推奨される行為ではありません。」「編集内容について不満を感じる場合は、差し戻しや削除をするのではなく、記事内容を改善してみましょう。」あたりですべて説明できることではあるのですが(なら書くなよ。わらい)。で、そもそもこの件はオフトピですんで、特にここに関してはコメントいただかなくても構いません。それでは。--Panam 2009年7月26日 (日) 16:08 (UTC)
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