1973-1974シーズンのNBA
1973-1974シーズンのNBAは、NBAの28回目のシーズンである。 シーズン前ドラフトドラフトではダグ・コリンズがフィラデルフィア・76ersから全体1位指名を受けている。またカーミット・ワシントン、ジョージ・マクギニス、ラリー・ケノン、アーニー・ディグレゴリオ、ロン・ベハーゲン、E・C・コールマン、のほか、後にNBAのヘッドコーチとなるジョージ・カールやジム・オブライエンらが指名を受けている。 その他
シーズンオールスター
イースタン・カンファレンス
ウエスタン・カンファレンス
スタッツリーダー
※このシーズンからスティール数、ブロックショット数も公式に記録されるようになった。 各賞
シーズン概要
ボストン・セルティックス 4-3 ミルウォーキー・バックス (ファイナル)
セルティックスの復権ビル・ラッセルの引退と共に優勝から遠ざかっていたボストン・セルティックスの復興は思いのほか早いものだった。八連覇時代を知るジョン・ハブリチェックに、セルティックス復興の立役者であるデイブ・コーウェンス、ジョジョ・ホワイトらが主力を担い、1971-72シーズンにはニューヨーク・ニックスからデビジョン王者の座を奪回。それでもプレーオフではウィリス・リードとウォルト・フレイジャー擁するニックスの前に敗退を繰り返していたが、1970年代に入ってカンファレンス決勝3度目の対決となったこのシーズンはニックスのウィリス・リードとデイブ・ディバッシャーが故障に見舞われたこともあり、セルティックスが4勝1敗でニックスを退けて5年ぶりにファイナルに進出した。 ミルウォーキー・バックスはキャリア末期を迎えたオスカー・ロバートソンにかわって先発ポイントガードを務めるようになったルーシャス・アレンがシーズン中に負傷し、プレーオフを全休するというアクシデントに見舞われたが、3度目のMVPを受賞したカリーム・アブドゥル=ジャバーの活躍でプレーオフを8勝1敗の圧倒的強さで勝ち抜き、3年ぶり2度目の優勝を狙ってファイナルに挑んだ。 カンファレンストーナメントではさして大きな問題とならなかったバックスのルーシャス・アレン不在は、セルティックスとの対決で一気に表面化した。セルティックスは35歳のオスカー・ロバートソンとロン・ウィリアムスの不完全なバックスのバックコート陣を徹底的に突き、序盤にリードを奪ってからは一度も追い付かれることなく95-83で第1戦を勝利した。続く第2戦はカリーム・アブドゥル=ジャバーとボブ・ダンドリッジの活躍で延長戦の末105-96でバックスが勝利。第3戦はセルティックスのデイブ・コーウェンスがファウルトラブルに見舞われながらも30得点をあげ、さらにコーウェンスのバックアップを務めた伏兵ヘンリー・フィンケルが26得点を記録。セルティックスの強力なプレスはバックスに27回のターンオーバーを強い、95-83でセルティックスが第3戦を勝利した。 セルティックスの強力なゾーンプレスに苦しみ、さらにシューティングガードのジョン・マクグロックリンの負傷でさらにバックコートの駒を失ったバックスは、ここまで殆ど出番のなかったミッキー・デイビスに助けを求めた。デイビスはチームの期待に応えて15得点を記録し、ジャバーも34得点をあげてバックスは97-89でセルティックスを破った。第5戦は96-87でセルティックスが勝利し、セルティックスがいよいよ優勝に王手を掛けた。後が無くなったバックスは第6戦でダブルオーバータイムにもつれた末、最後はジャバーの妙技「スカイフック」が劇的な決勝点となって102-101でバックスが辛くも勝利した。 セルティックスが1勝リードしてはバックスが勝敗をタイに戻し、うち2試合はオーバータイムまでもつれると言う激戦となったファイナルは、第7戦をセルティックスが102-87でものにし、5年ぶり12回目、ビル・ラッセルが引退して以来初となる優勝を決めた。ファイナルMVPにはセルティックス10年目にして7度目の優勝を手にしたジョン・ハブリチェックが選ばれた。 1970年代前半随一の強豪チームであるミルウォーキー・バックスは、この2度目のファイナル進出を最後に優勝戦線から遠ざかり低迷期に入る。当時リーグ最高峰の選手だったカリーム・アブドゥル=ジャバーは1975年にはバックスを去ってしまう。 ラストシーズン前々季のエルジン・ベイラー、前季のウィルト・チェンバレンに続き、このシーズンは1960年代から1970年代前半に掛けてのNBAを彩ったスター選手が大挙してNBAを去った年だった。個性豊かな巨星たちが次々とNBAから去っていったことも、NBA人気の停滞へと繋がった。
豊富なタレントを誇り、1970年代に2度の優勝を果たしたニューヨーク・ニックスは、多くの主力メンバーが引退した。
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