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この項目では、野球選手について説明しています。その他の人物については「高橋和幸」をご覧ください。 |
高橋 和幸基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
埼玉県ふじみ野市 |
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生年月日 |
(1977-04-27) 1977年4月27日(47歳) |
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身長 体重 |
184 cm 82 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
左投左打 |
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ポジション |
外野手 |
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プロ入り |
1995年 ドラフト5位 |
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初出場 |
2002年8月27日 |
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最終出場 |
2004年9月7日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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高橋 和幸(たかはし かずゆき、1977年4月27日 - )は、埼玉県ふじみ野市出身の元プロ野球選手(外野手)。
来歴・人物
所沢商高では投手兼外野手として高校通算37本塁打を記録した[1]。
1995年にドラフト5位で福岡ダイエーホークスに入団[1]。投手としてドラフト指名されるも、入団後すぐに外野手に専念[1]。
2002年にプロ入り7年目にして初めて一軍に昇格した。8月27日には一軍初出場を果たす。9月にはスタメン出場する機会も得て、シーズン最終戦であった10月12日の対近鉄戦では、延長11回裏に岡本晃からサヨナラ安打を放った。この年は21試合に出場し、打率.339のハイアベレージを叩き出した。
2003年は村松有人・ペドロ・バルデス・柴原洋ら外野陣が軒並み好調であり、なかなか出番が得られなかった。
2004年は4月21日の対オリックス戦で、1試合2本の三塁打を記録した事により、JA全農Go・Go賞(好走塁賞)を受賞。また、5月5日の対日本ハム戦では、8回裏に立石尚行からプロ初本塁打となる決勝2ランを放ち、試合後にプロ入り後に初のヒーローインタビューに選ばれた。春先はこのような活躍もあったが、徐々に調子を落としていき、前年オフに西武を戦力外になった宮地克彦の活躍もあり、飛躍には至らなかった。
2005年は一軍未出場に終わり、9月30日に戦力外通告を受けた。現在は、福岡ソフトバンクホークスマーケティングの社員として勤務している。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
2002
|
ダイエー
|
21 |
60 |
56 |
7 |
19 |
4 |
0 |
0 |
23 |
5 |
1 |
2 |
0 |
0 |
3 |
0 |
1 |
9 |
1 |
.339 |
.383 |
.411 |
.794
|
2003
|
26 |
73 |
70 |
11 |
18 |
1 |
1 |
0 |
21 |
3 |
0 |
1 |
1 |
0 |
2 |
0 |
0 |
11 |
1 |
.257 |
.278 |
.300 |
.578
|
2004
|
41 |
111 |
102 |
16 |
23 |
1 |
4 |
1 |
35 |
11 |
0 |
2 |
2 |
1 |
6 |
0 |
0 |
24 |
5 |
.225 |
.266 |
.343 |
.609
|
通算:3年
|
88 |
244 |
228 |
34 |
60 |
6 |
5 |
1 |
79 |
19 |
1 |
5 |
3 |
1 |
11 |
0 |
1 |
44 |
7 |
.263 |
.299 |
.346 |
.645
|
表彰
記録
背番号
- 68 (1996年 - 2003年)
- 0 (2004年 - 2005年)
脚注
- ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、320ページ
関連項目
外部リンク
- 高橋和幸 - NPB
- 高橋和幸 - Baseball-Reference.com (Register) (英語)
- 高橋和幸 - TheBaseballCube.com (英語)