頼 俊直[1](らい としなお[1]、1863年6月2日(文久3年4月16日)[2] - 1926年(大正15年)12月3日[3])は、日本の政治家(衆議院議員、当選1回)[3]、広島県多額納税者[4]、広島県の大地主[1][5]、名望家[6][7]、資産家[8]、実業家。竹原銀行取締役頭取[9]。木ノ江汽船相談役[9]。族籍は広島県平民[10]。
人物
安芸国竹原(現・広島県竹原市)出身。頼廉次郎の長男[10]。江戸後期の儒者、勤王家頼山陽の叔父頼春風の曽孫にあたる[11]。家は累世栄え、俊直に至り、その富は益々大になり、「竹原町随一の長者」と称呼された[6]。
和漢学及び英学を修めた[1][3]。町会議員に挙げられた[3]。農業[2][4]、製塩業を営んだ[3]。1894年、広島県第5区より選ばれて衆議院議員となった[10]。実業同志倶楽部[3]、大手倶楽部[12]に所属。
『商工資産信用録 第25回』によると、頼俊直(調査年月・1924年2月)は「正身身代・K、信用程度・A、職業・金穀貸付」である[13]。住所は広島県賀茂郡竹原町[10]。
家族・親族
- 頼家
脚注
参考文献
- 菊池幽芳編『明治富豪譚』大阪毎日新聞社、1892年。
- 吉野民司編『帝国名望家大全』吉野民司、1895年。
- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1900年。
- 佐古豊次郎編『広島県下役員録』広島独立通信社、1909年。
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員党籍録 第一囘議会乃至第四十囘議会』衆議院事務局、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第25回』商業興信所、1921 - 1926年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。