閔公(びんこう)は、春秋時代の魯の第18代君主。『春秋左氏伝』では「閔公」であるが、『史記』では「湣公」と表記される。名は啓。
生涯
閔公は荘公の子だが、次期魯公は季友が推す庶子の公子斑が有力視されていたため、公位の対象外にあった。しかし、荘公32年(紀元前662年)に荘公が没した直後に魯公となった斑を慶父が暗殺し、慶父の推挙を受けて翌閔公元年(紀元前661年)には魯公の座に就く。
その後、斉に亡命していた季友を呼び戻すために、斉の桓公に季友の帰国を働きかけ、首尾よく実現させる。その際に閔公自らが帰国途中の季友を迎えに行ったことから、閔公は季友を慶父以上に信頼していたことがうかがえる。
だが、閔公2年(紀元前660年)に魯公の座を狙っていた慶父によって、暗殺されてしまう。在位はわずか2年で、正に慶父に振り回された人生であった。
紀年
|
---|
- 公伯禽前1042-前997
- 考公前996-前993
- 煬公前992-前987
- 幽公前987-前974
- 魏公前973-前924
- 厲公前923-前887
- 献公前886-前855
- 真公前854-前826
- 武公前825-前816
- 懿公前815-前807
- 廃公前806-前796
- 孝公前795-前769
- 恵公前768-前723
- 隠公前722-前712
- 桓公前711-前694
- 荘公前693-前662
- 魯公子斑前662
- 閔公前661-前660
- 僖公前659-前627
- 文公前626-前609
- 宣公前608-前591
- 成公前590-前573
- 襄公前572-前542
- 魯公野前542
- 昭公前541-前510
- 定公前509-前495
- 哀公前494-前468
- 悼公前467-前437
- 元公前436-前416
- 穆公前415-前383
- 共公前382-前353
- 康公前352-前344
- 景公前343-前323
- 平公前322-前303
- 文公前302-前280
- 頃公前279-前256
|
カテゴリ |
参考文献
- 陸峻嶺、林幹合編、『中国歴代各族紀年表』、1982年、台北、木鐸出版社