鍋島茂正
鍋島 茂正(なべしま しげまさ)は、江戸時代前期から中期にかけての武士。肥前国佐賀藩士。武雄鍋島家5代当主。24代佐賀藩自治領武雄領主。文献の中では鍋島十左衛門の名で呼ばれることが多い。 生涯寛文5年(1665年)、23代武雄領主・鍋島茂紀の子として誕生。 正徳2年(1712年)、藩財政(蔵入方)を統括する勝手方頭人に任ぜられている。享保11年(1726年)3月、火災により佐賀城が焼失した際、後多久氏、諫早氏と共に俸禄の半額を献上する旨を申し出て、3年間で3割ずつ献納するよう許可されている。嫡子・茂住が享保3年(1718年)2月に死去したため、茂正の弟・茂昭が武雄領主の家督を相続している。 享保13年(1728年)、死去。 |