鉛の時代 (イタリア)鉛の時代(なまりのじだい、イタリア語: Anni di piombo、英語: Years of Lead)とは、1960年代の終わりから1980年代にかけて続いた、相次ぐテロリズムによるイタリアの社会的・政治的混乱の時代[1]。イタリア国内における社会主義勢力・新左翼運動の台頭と、それを阻止するアメリカやイタリア政府などの西側勢力による抗争という構図であり、冷戦の一環として発生した。
名称はテロに使用された鉛玉[2]、そして同時代のドイツを舞台としたマルガレーテ・フォン・トロッタ監督による1981年公開の映画「鉛の時代」に由来する[3]。 またこの名称は、アメリカとソビエト連邦による冷戦時代に各国で行われた、緊張戦略のようなさまざまなテロ活動や、コンドル作戦のような独裁政権への支援を包含して、より広範な国際的な文脈においても使用される。 概要「鉛の時代」の始まりは諸説あるが、1968年の抗議運動と1969年の「熱い秋」、もしくは1969年のフォンターナ広場爆破事件とされることが多い。 この時代は、「闘争は続く」「最前線」「赤い旅団」に代表される暴力的な新左翼運動や、学生運動、そしてそれに対抗する「武装革命中核」「新秩序」「国民前衛」等、ネオ・ファシストの活動により定義付けられる。とりわけ後者は、イタリア政府の支援やNATOによるグラディオ作戦の下、大規模な虐殺を行った。それは1968 年から1974 年の間だけでも140 件にも及ぶ。以下は特に著名な事件である。
また、「赤い旅団」による1978年のアルド・モーロ誘拐殺人事件は鉛の時代を象徴する事件の一つであり、同組織は以後テロ組織として名を轟かせることとなった。 このような介入は反共組織であるロッジP2を介して行われていた。この事は、後にP2事件として世に広まることとなり、各国情報機関やイタリア政界、軍関係者の関係が明らかとなっている。 中心人物
脚注
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