金勝寺 (栗東市)金勝寺(こんしょうじ)は、滋賀県栗東市荒張にある天台宗の寺院。山号は金勝山。本尊は釈迦如来。奈良時代に良弁によって開基された[1]。古くは大菩提寺と称し、湖南地方の仏教の一大拠点として栄えた大寺院であった。 歴史概要寺は栗東市の南方、 創建金勝寺は、寺伝では天平5年(733年)、聖武天皇の命により、紫香楽宮の鬼門鎮護のため良弁が創建したという[注 1]。創建については、他の伝えもある。中世の記録である『興福寺官務牒疏』(嘉吉元年・1441年)によると、この寺は天武天皇の白鳳元年(672年)、役小角(役行者)の修行した霊跡であり、養老元年(717年)、金粛菩薩が開基。平城京の鬼門(北東)を守る寺となったという。一方、寛平9年(897年)6月23日の太政官符(『類聚三代格』所収)によると、金勝寺は金粛菩薩の霊地であり、ここで修行していた興福寺の伝燈大法師位願安が弘仁年中(810 - 824)、国家のために伽藍を建立した。その後、承和聖帝(仁明天皇、在位833 - 850)の時に勅額を賜って金勝寺と号したという。 仁明天皇の治世の歴史を記した『続日本後紀』によれば、天長10年(833年)「金勝山大菩提寺」が定額寺(官寺に準ずる国家公認の寺院)に列せられている。寛平9年(897年)には前述の太政官符により金勝寺に年分度者(国家から年間に許可される得度者数)2名が許可されている。 中世以後建武2年(1335年)には後醍醐天皇の綸旨により同天皇の祈願所となっている。前述の『興福寺官務牒疏』によると、往時は山上に36坊を数えたというが、天文18年(1549年)の火災で焼失し衰退した。その後再建され、近世には徳川家康が30石を与えているが往時の規模を取り戻すことはなかった。 境内山上には仁王門、本堂(本尊釈迦如来像を安置)、二月堂(軍荼利明王像を安置)、虚空蔵堂(虚空蔵菩薩像、毘沙門天像、地蔵菩薩像を安置)などが建つ。境内には千年杉や楓などの名木も多い[1]。他に、山麓の春日神社の近くに里坊がある。 文化財
所在地・アクセス・拝観本坊
アクセス
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里坊
アクセス
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脚注注釈
出典
参考文献外部リンク
座標: 北緯34度57分22.1秒 東経136度2分4.5秒 / 北緯34.956139度 東経136.034583度 |