道奉行道奉行(みちぶぎょう)は、江戸幕府や諸藩における職名の1つ。 江戸幕府役扶持は60人扶持で、江戸府内の道路・水道を掌り、若年寄の支配を受けた[1]。江戸城中の席次は躑躅之間敷居之外であった[2]。御目見以上、布衣以上。定員は当初2名、のちに4名となり、再設置後は再び2名となる。 創設は万治2年(1659年)[3]で、4名が任命された[1]。同年11月には普請奉行とともに近郊農村宅地化の管理を命じられる。この時は新番と大番からの出役であった[1]。 元禄6年(1693年)には、それまで町奉行の管轄であった玉川上水、神田上水を支配[1][4]。それに伴って新規に同心が付属し、上水奉行とも呼ばれるようになった[5]。正徳2年(1712年)には与力2騎、同心10人が配属されていた[1]。同心には切米30俵2人扶持が支給され[6]、目白台に組屋敷があった。 享保5年(1720年)8月に廃止されたが[1]、10月に再び2名が任命された[1]。再設置後は、両番(小姓組番・書院番)からの出役となり、就任年数も2年が原則となる。元文4年(1739年)には上水管理の役務を町奉行に返還[1]。明和5年(1768年)には再度廃止され[1]、道奉行が掌っていた役務は普請奉行の所管となり、江戸の水道は普請奉行の支配となった。 脚注
参考文献
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