近藤 豊(こんどう ゆたか、1909年(明治42年)11月8日[1] - 1994年(平成6年)5月24日[1])は、日本の建築学者。京都市生まれ。
概要
古建築の研究者で、古建築の細部の意匠や文様を分類した。
中学生の時より京都帝大教授の天沼俊一に師事し、天沼とともに日本・朝鮮の古建築の多数の写真を撮影した。
1940年に京都大学大学院を卒業。京都大学工学部建築学教室嘱託を経て、滋賀県立短期大学建築科教授、大阪教育大学家政学部教授、摂南大学工学部建築科主任教授などを歴任。
一心寺本堂(大阪府大阪市)、明王院多宝塔(岡山県浅口市)など多数の建築の再建における設計監督も務めた。
主な著作
- 『古建築の細部意匠』大河出版、1972年
- 『古建築の細部文様』光村推古書院、1989年
その他
- 近藤が生涯に撮影した約6万カットに及ぶ膨大な写真は、ほとんどすべての資料に撮影年次、撮影場所が書かれているのが特徴。これらは近藤の没後に京都府立総合資料館に寄贈され、立命館大学アート・リサーチセンターによって「近藤豊写真資料」としてアーカイブ化されている。
- 近藤が京都帝国大学大学院に進んだ1937年、天沼俊一教授が定年退職して村田治郎が後任となる。近藤は天沼の退任後も天沼とともに活動していたため、村田に目を付けられ、大学院に在籍中は自分の研究はできずに村田が『法隆寺の研究』を書くための資料集めをさせられるなど冷遇される。『古建築の細部文様』のあとがきによると、村田が1985年に死去するまで50年にわたっていじめられたという。
脚注
- ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、462頁。
外部リンク