近藤守
近藤 守(こんどう まもる、1949年5月9日 - )は千葉県出身のプロゴルファー。 来歴中央工学校卒業後の22歳からゴルフを始め、1975年にプロに転向[1]。 1987年には茨城オープンで初優勝し[1] [2]、1988年にはハワイパールオープンで横井ジョウジ・泉川ピート・白石達哉と並んでの10位タイ[3]に入った。 1988年のペプシ宇部では初日に67をマークし、中村通・羽川豊・青木功と並んでの2位タイ[4]でスタート。2日目には68とスコアを伸ばし、通算9アンダー135で陳志明(中華民国)と首位タイで並んだ[5]。最終日も他の選手のスコアが伸び悩む中で着々とスコアを伸ばし[6]、15番までに3バーディー、1ボギーで11アンダーの単独首位に立つ[2]。16番でボギーを出し倉本昌弘に並ばれたものの、最終ホールでは7番アイアンで放った第2打をピン手前1mに着けると、先にホールアウトした倉本の見つめる前で会心のバーディーパットを沈める[2]。プロ2勝目と14年目でのツアー初優勝を飾り、プロ14年間で稼いだ金額に相当する賞金900万円を獲得[2]。 1994年6月には森静雄が主催する日本初のミニツアーに出場し、優勝賞金100万円、2位60万円をかけた試合で、当時研修生の樋口勝信と4アンダーで並び、プレーオフへと突入[7]。1番377ヤード、パー4のホールでは3Wでナイスショットし、2打目には5mにオン[7]。近藤と樋口は共にいいパットがカップをかすめパーに終わり、2ホール目は4番558ヤードパー5のホールで12mにオンするが、近藤は外して2位に終わった[7]。たった2ホールであったが、樋口はツアーでの優勝の実績があるプロとラウンドするのは初めてのことで、緊迫したプレーオフで近藤の迫力と凄まじい気合を目の当たりにし、近藤はその後会った時には「俺の天敵だ!」といつも言っていた[7]。 1998年の宇部興産オープン[8]を最後にレギュラーツアーから引退し、シニアに転向した1999年には日本シニアオープンで天野勝・井上久雄と並んでの5位タイ[9]、2000年には1日大会のN.CUPシニアオープンで青木の2位[10]、2001年にはオールドマンパーシニアで冨田三十士と並んでの8位タイ[11]に入る。 2010年の日本プロシニアを最後にシニアツアーから引退し、現在は平岡牧場サンバレーや勝浦東急ゴルフコースでレッスンを担当[1]。 主な優勝
脚注
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