西広忠雄西広 忠雄(にしひろ ただお、1900年(明治33年)3月28日[1][2] - 1958年(昭和33年)9月23日[3])は、日本の内務・警察官僚。官選宮崎県知事。旧姓・中村。 経歴広島県出身。中村百太郎の二男として生まれ、西広興一郎の養子となる[1]。第三高等学校を卒業[4]。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、京都帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し山形県属となる[1][4][5]。 以後、山形県事務官、兵庫県事務官、内務事務官、岐阜県書記官・警察部長、長野県書記官・警察部長、静岡県書記官・警察部長、内務省書記官・計画局防空課長、同防空局企画課長、警視庁部長・警務部長、東京府内政部長などを歴任[1][5]。 1943年7月1日、宮崎県知事に就任。戦時下の対応に尽力[5]。1944年8月1日、朝鮮総督府警務局長に転じ[6]、終戦を迎えた[4]。その後、公職追放となった[4]。 親族脚注参考文献 |