藤岡麻美
藤岡 麻美(ふじおか まみ、1982年5月27日 - )は、日本のアクション女優[2]。タレント・シンガーソングライター、女性アイドルグループ「チェキッ娘」の元メンバー。千葉県鎌ケ谷市出身、出生地は福島県(公式サイト上のプロフィールより)。血液型はA型。日本ではスカイコーポレーションに、台湾では「天藝娯樂有限公司」に所属。かつてはエムティエムプロダクション、デンナーシステムズに所属していた[3]。 男2人、女2人の4人きょうだいの第2子(長女)であり[4][5]、兄は俳優でモデルのディーン・フジオカ[6][7]。 芸歴チェキッ娘以前幼稚園時代は、先生の勧めで鼓笛隊の指揮者のオーディションを受けて選ばれ、指揮者を務める[6]。小学生の頃から「老け顔(大人っぽい顔)だった」と話している[8]。中学生時代は生徒会で活動。中学3年生の時には千葉県鎌ケ谷市の弁論大会で優勝、中学の卒業式では答辞を務めた[6]。高校は音楽推薦で入学。 幼稚園の卒業アルバムには既に将来の夢として「アイドル歌手、女優」と書いており、その後もそのように公言していたという[9]。本人も、家族でいわき市のハワイアンセンター行った時にショーが始まったらステージに乱入して真ん中で踊ったほど人前に出ることが好きなタイプの子だったらしいと母親から聞いたことがあると話している[9]。また小学生時代はピアノ、ジャズダンス、クラシックバレエ、モダンバレエ、ヒップホップなどの習い事をする[8][9]。中学生時代は吹奏楽部で活動[10](吹奏楽はピアノ教師だった母親[2]の勧めもあった)。吹奏楽部で担当していたパートはパーカッション。この頃、兄と一緒にバンドを組んだライブをやっていたこともあった(この時はボーカルを務めていた)[8]。またこの中学生時代からドラムやスネアドラムも始める[9]。高校生時代の部活は写真部[8]。一方で、陸上部には所属してなかったにもかかわらず、小学生、中学生時代にはよく短距離、リレーの選手に選ばれて陸上大会に出場していたということもあった[8]。本人も「昔は運動神経良かった」と話している[8]。 小学4〜5年生頃から安室奈美恵に憧れ、歌手になりたいという思いが強くなる[8]。 ASAYANなどのオーディション番組に出演していたともされるが、確認できる範囲では、HYPER ONLINE のGIRLS ON THE WEB、FILE25(1998年5月1日号)に登場している。 鎌ケ谷市立第二中学校、千葉県立津田沼高等学校卒業[6]。中学一年生の時に、同じ部活の子から誘われてソニーミュージックエンタテイメントSD制作部の「ちょっとそこまでオーディション」に合格、事務所預かりという形になって無料でダンスレッスン、ボイストレーニングなどを受ける[6][9]。 チェキッ娘時代1998年11月19日、バラエティ番組『DAIBAッテキ!!』(フジテレビ)のオーディションに合格、女性アイドルグループチェキッ娘のメンバーとなる(チェキッ娘ID012)。チェキッ娘時代は、寒いギャグ(「何をいってんごりっとる」「ちょっとまちこ」等)を連発するなどして人気を集めた[11]。このギャグは、それを書いて送って来たファンの手紙の内容をみんなと共有したくて言わせてもらっていたということで、気が付いたら番組の台本にも書かれるようになっていたという[2]。また『DAIBAッテキ!!』の懺悔コーナーの企画で、いつも寒いギャグを言ってみんなを困らせたと懺悔したら、許しが得られず上から水を被ったということがあった[2][注釈 1]。 また、当時から歌唱力に優れ、チェキッ娘の曲の中では『はじまり』、『最初のキモチ』、『海へ行こう〜Love Beach Love〜』、『ありがとう』のそれぞれのシングルにおいてフロントメンバーを務めるなど、リードボーカルを担当することが多かった。特に『海へ行こう〜』では全体を通してパートが与えられていた。 さらに、チェキッ娘のグループ内ユニットであるchee's、M@Mなどにも所属し、数曲をレコーディングしている。チェキッ娘時代にはファンに自宅や学校まで押しかけられる等ストーカー行為をされたと元アイドルの対談で明かしている[10]。 この当時、仕事の影響で友人関係などがうまく行かなくなったなどで学業と芸能活動の両立が難しくなったことがあり、本気で高校を辞めたいと思い『DAIBAクシン!!cheki b.』で共演していた笑福亭鶴瓶に相談したところ、鶴瓶に「絶対高校辞めたらあかん。高校辞めるなら芸能界も辞めえや。両方やるのが基本やから、学校やめたら仕事もダメになるし、きっと後悔する」などと諭され、退学は思い留まったという[6][12]。 chee's時代1999年1月、『DAIBAッテキ!!』内で、ガールズバンド「chee's」を結成。藤岡はドラムとボーカルを担当する。同年11月にチェキッ娘が活動を終えた後もchee'sは活動を続行。CDのリリース、テレビ及びラジオの音楽番組への出演、ライブなど、2001年6月30日に解散するまで、アイドルの枠にとどまらず、本格的にバンドとしての活動を展開した。 この時期から、chee'sの曲を作詞・作曲するなどしていた。なお当時本人は、ソロでバラードを歌うなどのシンガーソングライター志望だった[9]。 シンガーソングライター・女優活動chee's解散と同時にソロ活動を開始。シンガーソングライターとしてライブを行う傍ら、インディーズから2枚のアルバムを発表している。ソロ以外でも、同じ元チェキッ娘メンバーだった松本江里子、大田祐歌らが結成したボーカルユニット『TRY-FULL BUS』にもメンバーとして加入している。また、他の歌手に楽曲提供をすることもある。 2005年から秦建日子が主宰するtake1に参加。秦の脚本によるドラマにも出演するようになる(後述)。 2011年12月オリジナルミニアルバム「心守唄〜Aromami Days〜」発売発表、同アルバム発売記念のライブ・トークイベントを2011年12月17日銀座Miiya Cafeにて開催し、ミニアルバムの先行販売を開始する[13]。 その他2008年11月、アニメ専門チャンネルアニマックス主催の「銀河鉄道999〜あなたが選ぶメーテル〜」コンテストで、ミスメーテルグランプリに選ばれる[14]。2009年3月8日には、西武鉄道池袋線大泉学園駅の発車メロディが『銀河鉄道999』(ゴダイゴ)に変更そして同駅北口の『銀河鉄道999』壁画完成のセレモニーに「ミス銀河鉄道999」として参加した[15]。また、2009年7月〜8月に行われたアニマックス主催『第三回全日本アニソングランプリ』の応援サポーター、レポーター、同年の『アニソン応援キャラバン』のMCを務める[16]。 2009年中は、7月から工業英語能力検定の広告キャラクターを務めた[17] 2009年から行われている二次元カルチャートークライブ『コレカミ!』では、主催のサンキュータツオ(米粒写経)と一緒にMCを務めていた[16]。 2010年10月、ブランド『S.oblige』のイメージモデルを、2011年9月、大手町サンケイプラザのイメージモデルをそれぞれ務める[17]。 2011年から、元Kissa Colorのnonchiとユニット「フジカワアタリ」を組んでの活動も行い、コラボレーションミニアルバムの制作を開始する[18]。 blue chee's時代女性4人組バンド「blue chee's」のプロデュースを、松本江里子と共に務めている(blue chee'sの初ライブは2010年12月12日)。 プロデューサーの立場で活動し、バンド内では「リズ」と言う役名で活動していたblue chee'sだが、2011年9月4日のblue chee'sライブにて「リズ」は藤岡本人が演じていると公表[19]。 chee's解散10年目の節目にblue chee's初のフルオリジナルアルバム発売を発表[20]。 台湾での活動2013年3月から、生活と活動の拠点を台湾に移し[21]、サモ・ハン・キンポーの次男のジミー・ハンの目に留まったことがきっかけで、台湾で芸能活動を始める[22]。2012年頃、台湾を友人と旅行で訪れた時に、現地の人も天候も自分に合っていたと感じ「ここで頑張ってみたい」と思ったことがそのきっかけだった[23]。また、ちょうどその頃はある日突然声が出なくなったこともあり、女優も歌手も続けていけないという所まで追い詰められていたと感じたほど、公私共に常にストレスを抱えていた時期で、台湾と出会ったことで自分を幸せにしたい、人生を変えなきゃいけないと思い始め、台湾移住は「生きるか、溺れ死ぬか」の覚悟だったと言う[2]。台湾に着いてから3日後に、台湾観光局のショートフィルム出演の仕事を得て台湾での初仕事となる[2]。 台湾に来てから、剣術を始める[24]。2013年秋より台湾で大学に通いながら活動[25]。2014年、新井利佳と飛輪海の炎亞綸と共演した台湾のスナック菓子『卡迪那北海道風味薯條』のCMに出演[26]した他、主に日本企業向けのCMに多数出演。CMのオーディションでは2回の内1回は採用されるという[27]。他に香港でもCMに出演。また、台湾ドラマ『終極惡女』では、アクションチームのメンバーとしてスタントウーマンと出演者への指導を務める[28]。2014年11月から台湾ダンス公演『舞魅薪傳舞團假日酬神獻舞活動』にレギュラー出演[29]。 2016年11月4日、台湾在住の日本人男性との結婚を報告[1]。2020年1月20日、第1子長男出産を報告[30]。2021年7月8日、第2子次男出産を報告[31]。2024年1月1日、第3子長女出産を報告[32]。 2024年7月、日本に完全帰国[33]。 兄・ディーンは麻美と入れ違うように日本へ行って仕事をするようになったことから、日本での兄の活躍をよく知らず、兄を意識することはあまりないという[2]。 出演テレビドラマ
テレビその他※DAIBAッテキ!!、DAIBAクシン!!シリーズ以外の出演
映画ネット配信
ラジオ
インターネットテレビ
CM
舞台
ショー
掲載音楽作品CDアルバム
楽曲提供
脚注注釈
出典
外部リンク
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