腰抜け二刀流
『腰抜け二刀流』(こしぬけにとうりゅう)は、1950年(昭和25年)製作・公開、並木鏡太郎監督の日本の長篇劇映画である。森繁久彌が映画出演2作目にして、初主演に抜擢されたミュージカル・コメディである。 略歴・概要早稲田大学を卒業し[1]、第二次世界大戦前、東宝の前身の東宝映画に入社し、戦後、新東宝の設立に参加した[1]映画プロデューサーの佐藤一郎が、佐藤プロダクション名義で製作した作品である。マキノ・プロダクションのヴェテラン監督並木鏡太郎、山中貞雄が参加したことで知られる脚本家集団・鳴滝組出身の脚本家三村伸太郎といった大御所を新東宝に招き[2]、同年5月6日にマキノ正博(のちのマキノ雅弘)と離婚したばかりの轟夕起子[3]を、同年3月に並木が監督した『右門伊豆の旅日記』以来連続的に起用した[4]。 1947年(昭和22年)に東宝が製作・配給した『女優』に端役で出演した後[5]、ムーランルージュ新宿座の舞台で軽演劇に出演していた、佐藤と同世代で同じ早稲田大学出身の俳優・森繁久彌を主役に抜擢した[2]。 スタッフ・作品データ
キャスト
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