第8軍団 (北軍)南北戦争中の北軍第8軍団(VIII Corps)は、主としてバージニア州西部のシェナンドー渓谷で活動した軍団である。 結成と初期の活動第8軍団は、シェナンドー渓谷にあったいくつかの部隊を組み合わせた中部軍管区(Middle Department)を改称し、1862年7月12日に組織された。初代軍団長はジョン・ウール(John E. Wool)少将であった。1862年中は、ボルチモア、ハーパーズ・フェリー、ウィンチェスター間のボルチモア・アンド・オハイオ鉄道の防衛が主たる任務であった。その後、ロバート・カミング・シェンクが軍団長となり、ゲティスバーグ方面作戦の初期段階に参加した。1863年6月に南軍ロバート・E・リー大将の北バージニア軍がシェナンドー渓谷に侵入してくると、第8軍団のいくつかの部隊がこれを迎え撃ったが、いずれも敗北した。ロバート・ミルロイ(Robert H. Milroy)の第2師団は、1863年6月13日-15日の第二次ウィンチェスターの戦いでリチャード・イーウェルの北バージニア軍第2軍団に敗北し、大損害を受けた。数日後に第8軍団の他の部隊が、マルティンスバーグでの遅滞作戦に加わった。第8軍団の受けた損害は大きく、ゲティスバーグの戦いに至るその後の作戦には参加していない。但し、ゲティスバーグから撤退するリーの追撃戦には、ジョージ・ミードのポトマック軍に加わって参加している。 1864年のワシントン防衛→詳細は「1864年のバレー方面作戦」を参照
1864年中の第8軍団の主たる任務はメリーランドにおいて、ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道を防衛することに限定され、多くの部隊が西バージニア軍に転属となった。1864年に南軍のジュバル・アーリーがワシントン攻略を目指したが、その途中の7月9日、モノカシーの戦いで第8軍団はこれを迎え撃った。当時の軍団長はルー・ウォーレス少将(後のベン・ハーの作者)であったが、モノカシーでのウォーレスの兵力は少なく、支援にかけつけた第6軍団が主力となって戦った。ウォーレスは敗北したが、南軍の行動の遅延には成功し、ワシントン防衛のための時間稼ぎができた。アーリーの部隊がワシントンを目指す際に、南軍の騎兵部隊がメリーランド各地で攻撃を行いボルティモア郊外に達したが、いくつかの部隊はこれら騎兵部隊とも戦っている。 西バージニア軍第8軍団は、しばしば西バージニア軍と混同されることがあるが、これらは別の部隊である。西バージニア軍はシェナンドー渓谷と西バージニアで1864年中活動したが、隷下の部隊が第8軍団と重複することも混乱に輪をかけている。しかしこれら部隊は1863年には第8軍団に属していたが、1864年のバレー方面作戦時には正式に西バージニア軍に所属替えとなっていたものである(モノカシーでのウォーレスの兵力が少なかったのはこのためである)。また西バージニア軍(3個師団編成)が、実質的にはシェナンドー軍隷下の「軍団」として機能していたことも(シェナンドー軍の編成は第6軍団、第19軍団及び西バージニア軍)、混乱のもととなっている。 歴代軍団長
参考資料
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