窪内秀知窪内 秀知(くぼうち しゅうち、1920年(大正9年)1月25日[1] - 2020年(令和2年)1月21日[1])は、日本の囲碁棋士。本名・窪内 敏明。大阪府出身[1][2]、久保松勝喜代名誉九段門下[1][2]、関西棋院所属、九段。関西棋院第一位決定戦優勝、名人戦リーグ4期・本因坊戦リーグ3期など。力戦派で、「サビ刀」(切られるとすごく痛い)と呼ばれた[2]。一時雅邦に改名。関西棋院監事も務めた。2009年9月引退[1]。 経歴8歳の時に久保松勝喜代に入門、神戸研究会に参加。1935年日本棋院関西支部にて入段[1]。1940年五段[1]。1949年の呉清源高段者総当り十番碁では、3局目に対戦し呉に対する唯一の勝利を挙げる。1952年本因坊戦リーグ入り(2-5)。1954、55年に第1、2期関西早碁名人戦優勝。1955年八段[1]。1960年、関西棋院5人目の九段に昇段[1]。1963年関西棋院第一位決定戦優勝[1]。1968年名人戦リーグ入り。1975年、日中囲碁交流訪中団に参加。1977年第2期棋聖戦最高棋士決定戦ベスト4。1990年勲四等旭日小綬章受章[1]。2009年まで現役最年長棋士であったが、9月に89歳で引退。 2020年1月21日、老衰で死去。99歳没[3]。 タイトル歴
他の棋歴
門下生
著作脚注外部リンク |