稲葉正知
稲葉 正知(いなば まさとも)は、下総佐倉藩の第2代藩主、山城淀藩の初代藩主。正成系稲葉家宗家5代。官位は従五位下、従四位下、美濃守、丹後守、長門守。 生涯貞享2年(1685年)、佐倉藩初代藩主稲葉正往の次男として京都で生まれる。幼名は宇右衛門。長兄が早世したために世子となり、宝永4年(1707年)8月21日に佐倉藩主となった。この時、義弟の稲葉正佐(叔父、父の養子になっていた)に3000石を分与している。佐倉藩の藩政では交通路の整備などに尽力した。 享保8年(1723年)5月1日、山城淀藩に移封となる。享保14年(1729年)5月29日、45歳で死去し、跡を三男の正任が継いだ。法号は万祥院。墓所は東京都文京区千駄木の養源寺。 系譜父母
正室、継室
子女
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