秋田俊季
秋田 俊季(あきた としすえ)は、江戸時代前期の大名。常陸国宍戸藩藩主、のち陸奥国三春藩藩主。秋田家第3代当主。安東太郎[1]。 生涯慶長3年(1598年)、秋田実季の子として山城国で生まれる[2][1]。母は、細川昭元の娘・円光院[2]。幼名は東太郎[3]。 慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、父・実季と共に出陣した[3][1]。元和元年(1615年)4月26日、従五位下伊豆守に叙任された[1]。同年5月の大坂夏の陣では、天王寺口の攻撃に加わった[3](天王寺・岡山の戦い)。 元和2年(1616年)7月、日光山普請手伝いを務める[4]。同3年(1617年)、徳川秀忠が上洛する際、供奉した[4]。同4年(1618年)4月、秀忠が日光山に詣でた際、これに従った[4]。 元和5年(1619年)4月2日、河内守となる[4][3]。この頃から実季と不仲になる[3]。 寛永8年(1631年)、実季は領地を没収され、伊勢国朝熊に蟄居させられた[2]。同年、この後を継ぐ[4]。正保2年(1645年)8月、5000石を加増され、陸奥国三春5万5000石に転封となる[2]。 慶安2年(1649年)1月3日、勤番中の大坂城内で病死した[2][3]。52歳[2]。法号は真如院殿実岩常固大居士、墓は高乾院(荒町)にある[2]。 系譜父母 兄弟 正室
子女 略系図徳川家光、豊臣秀頼は又従兄弟にあたる[6]。
脚注参考文献
外部リンク
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