福田 和禾子(ふくだ わかこ、1941年11月28日 - 2008年10月5日)は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト。東京都出身。父は流行歌手の松平晃[1]。
経歴・人物
東京学芸大学附属世田谷小学校・中学校、東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業[1]。作曲を下総皖一、池内友次郎、矢代秋雄、いずみたくに師事。大学在学中から、父の親友であった藤山一郎の専属ピアニストとして活動[1]。
大学卒業後の1964年から、NETテレビや東京12チャンネルの学校放送、およびNHK教育テレビジョンの子供番組の音楽の作曲・演奏を担当。『おかあさんといっしょ』や『いないいないばあっ!』、『みんなのうた』等の楽曲を数多く手がけた。特に『おかあさんといっしょ』では、うたのおにいさん・おねえさんへの歌唱指導や選出オーディションにも関わるなど、長年に渡って制作に携わっていた。
2008年10月5日午後5時52分、心不全のため東京都新宿区の病院で死去。66歳没。倒れる直前まで、同年11月の「おかあさんといっしょ ファミリーコンサート」用の音源の録音をしており、それが終わった直後のことであった[2][3][4]。
主な作品
※50音順。
- おかあさんといっしょ
- あ・い・う・え・おにぎり(編曲、2001年4月)
- あきのこびとオータムタム
- あしたのあしたのまたあした
- あそび・すくすく
- あの子をさそって海へ行こう
- あのねママ(1998年12月)
- イカイカイルカ(1998年1月)
- いつもいっしょに
- お~い!
- 「おかあさんといっしょ」のいつまでも
- 「おかあさんといっしょ」のトルコ行進曲
- おしゃれなやさい(1991年11月)
- オーストラリアの どうぶつファミリー(1994年2・3月)
- おてんきじどうはんばいき(2002年6月)
- おとうさんもはだかんぼう
- おとぎの国のアドベンチャー
- おまつりすんだはらっぱに
- かくざとういっこ
- 風とパレード
- 木がいっぽん(1986年4月)
- 北風小僧の寒太郎(みんなのうたでも放送)
- キュキューンがすき(2004年1月)
- キラキラごあいさつ
- 銀ちゃんのラブレター(1994年6月)
- 金色うさぎ
- くいしんぼおばけ
- くじらのバス
- くんくんりんりんクリスマス
- ここが世界のまんなかだ(1992年11月)
- こねこねんね(2005年2・3月)
- こまったくんとこまったちゃん(1996年10月)
- ごめんね
- こんにちは
- さかあがり
- サッカー・サンバ
- ジャングルポケット
- 少年の夏
- そうだったらいいのにな
- それからどんどこしょ
- だぁれもいない海で(1987年9月)
- たからものみつけた
- たぬきが…(1989年9月)
- たぬきのレストラン(1988年7・8月)
- たんぽぽちゃんとつくしくん(1993年4月)
- ちいさなおふね(1995年10月)
- 地球をまわすのだあれ
- ちびっかぶーん
- チャオチャオまたね
- ちょんまげマーチ
- つくしのムック(1992年2・3月)
- 手あそび かいかいかい(1991年2・3月)
- どうぶつオーケストラ
- ドンドンどこどこ
- ねっおかあさん
- 野原がぼくらの遊園地
- のんびり・のびのび
- はじめて はじめまして(2008年4月)
- はじめまして
- バナナのおやこ
- パパの背広
- はぴねす特急
- はみがきじょうずかな
- はるかぜかくれんぼ(1995年4月)
- はるかぜ電話(1999年4月)
- 春の子うーら
- 冬のないない気のいい王さまのお話(2001年12月)
- みらいくんとゆめみちゃん(2000年1月)
- 焼きたてパンが呼んでます
- ゆきふるるん(1988年2・3月)
- レンコンさんがかぜひいた(1991年1月)
- わ!(2006年1月)
- わらいねこ・ハッピネス
- みんなのうた
- いないいないばあっ!
- でんしゃだいすき!
- ねむねむファーオ
- パパとっと
- 童謡全曲編曲
- NHK全国学校音楽コンクール課題曲
- 東芝ダンス教材シリーズ
- その他
- 波佐見児童合唱団 ミュージカル『桜の丘で会いましょう』
音楽を担当した主な番組
脚注
外部リンク