番匠義彰
番匠 義彰(ばんしょう よしあき、1922年5月13日 - 1992年4月12日)は、日本の映画監督。 経歴東京都出身[1]。父は鹿児島教会牧師や北陸学院短期大学学長を務めた番匠鉄雄[2]。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)[2](1940年=33回卒)を経て、1945年に早稲田大学文学部英文科卒業。大学在学中の1943年、松竹大船撮影所に助監督として入社[1]。中村登の下で松竹大船に特徴的な映画技術や映画作法を習得[1]。1955年、「かりそめの唇」で監督デビュー[1]。特に喜劇を得意分野としたが[1]、逆に情緒的・悲劇的作品においても評価を得た。1965年の「ウナ・セラ・ディ東京」をもって退社、フリーとなって活動の場をテレビ映画へ移した[1]。 主な作品映画
テレビ映画
脚注外部リンク |