田渡凌
田渡 凌(たわたり りょう、1993年6月29日 - )は、日本の男子プロバスケットボール選手である。東京都足立区出身。身長179cm、体重77kgで、ポジションはポイントガード[1]。 来歴東洋大学京北中学高等学校バスケットボール部監督の田渡優を父とする田渡三兄弟の三男で、兄は元東京サンレーヴスの田渡敏信と福井ブローウィンズの田渡修人。芸能活動は、エーチームグループのエーライツ所属[要出典]。 3歳からバスケを始め、京北中学3年の時、全国中学校バスケットボール大会の決勝で富樫勇樹を擁する新発田市立本丸中学校と対戦し敗れたが、個人としては大会得点王と優秀選手賞を獲得している[2][3]。 高校卒業時には、大学進学と米国挑戦で悩んだが、日本の大学バスケに物足りなさを感じ、自分を成長させるために米国挑戦を選択した[4]。ニューハンプシャー州のプレップスクール、ティルトンのヘッドコーチから勧誘され、同校で英語力の向上とアメリカのバスケットボールに慣れた上で米国の大学にアピールする心づもりで渡米したが、田渡の受け入れを承認した時点から学校長が替わり、得られるはずだった奨学金の話も白紙になっていた。田渡はティルトンには入学せずにホームステイをしながら自力で勉強とトレーニングを行い、大学への売り込みを行った。希望していたNCAAディビジョン1からの勧誘はなかったが、カリフォルニアのオーロン・カレッジから奨学金を得る事ができ、同校卒業後の大学入りを目指す道を選んだ[4]。 オーロン・カレッジ卒業時に、NCAAディビジョン1の大学からのオファーもあったが、奨学金やプレータイムなどの約束は得られないオファー条件だった。ディビジョン2に所属するドミニカン大学からは、奨学金や中心選手としての座を約束するオファーを得た[4]。ドミニカン大学では主力としてプレーすると共に主将を務め、第29回ユニバーシアード競技大会ではU24日本代表に選ばれている[5]。 大学卒業後の進路として2017年に横浜ビー・コルセアーズと契約した。横浜を選んだ理由として「(これまでの自分の経験から)あまり勝てなかったチームでプレーした時に、楽しかったり、成長したりするのを感じたため」と語っている[6]。 2017-18シーズンはベンチメンバーからのスタートだったが、シーズン序盤の段階でポイントガードのレギュラーを奪う活躍をみせた。しかしシーズン中盤からはポジションを奪い返され、以後は2番手ポイントガードに定着した。58試合に出場、1試合平均の出場時間は18.0分 6.4得点 3.0アシストを記録した[7]。 2018-19シーズンも、開幕時はベンチメンバーからのスタートだったが、開幕4試合目でスターターを奪取し、シーズンを通してレギュラーとして出場を続けた。60試合に出場、1試合平均の出場時間は26.1分 9.7得点 4.0アシストを記録した。[7]。 2019年10月に、横浜の新チームキャプテンに就任した[8]。またリアリティ番組『テラスハウス TOKYO 2019-2020』に出演することが発表され[9]、2019年10月8日に配信された第18話より新メンバーとして登場した[10]。2020年2月4日に配信された32話で番組を卒業した[11]。2019年11月25日には一般社団法人日本バスケットボール選手会の副会長に就任した[12]。 2019-20シーズンは、シーズン開幕から中盤まではスターターおよびレギュラーを務めたが、チームの不振でシーズン途中でヘッドコーチが交代した後は、2番手ポイントガードに定着した。41試合に出場、1試合平均の出場時間は23.6分 7.0得点 4.3アシストを記録した[7]。 2019-20シーズンのリーグ表彰では、「テラスハウス」への出演により新たなファン層を取り込んだ他、自身のTwitterに投稿した #エアロビチャレンジ の動画では100万回を超える再生数を記録するなど、選手としての発信力と拡散力が高く評価されMIP(レギュラーシーズン 最優秀インプレッシブ選手)を受賞した[13][14]。 2020年5月に横浜ビー・コルセアーズとの契約満了と退団が発表された[15]。 2020年6月5日にB1に昇格した広島ドラゴンフライズへの入団が発表された[16]。広島への移籍理由として「選手としてまた一歩成長するために新しい挑戦が必要だと思っていた。自分がうまくなること、勝てるチームに行って成長することを一番に考えた」と語っている[17]。2020-21シーズンの広島ドラゴンフライズの成績は、リーグ最下位(20位)に終わり、田渡自身もチームでのレギュラー獲得に至らず48試合出場9先発に終わった。1試合平均では13.0分の出場、2.9得点、3.2アシストだった[7]。シーズン終了後の2021年5月に広島ドラゴンフライズとの契約満了と退団が発表された。 2021年6月2日にB1 三遠ネオフェニックスへの入団が発表された。三遠への入団にあたって「伝統ある三遠ネオフェニックスの一員として、ブースターの皆さんと沢山の思い出を共有出来る事を楽しみにしています。失った全てのものを取り戻す為にこの地に来ました。」とのコメントを語った[18]。シーズン序盤はプレータイムが伸びない状態が続く中で少しづつ出場時間を増やしていったが、シーズン終盤の4月27日に左ハムストリング肉離れによりチームを離脱した状態でシーズン終了となった[19]。シーズン成績は46試合出場26先発。1試合平均では15.5分の出場、4.8得点、3.1アシストと、チームでのレギュラー獲得には至らなかった[7]。シーズン終了後の2022年5月に三遠ネオフェニックスとの契約満了と退団が発表された[20]。 2022年7月22日にB2 熊本ヴォルターズへの入団が発表された[21]。熊本ヴォルターズへの入団にあたって「覚悟と責任を持ち熊本ヴォルターズのために全力で闘います。クラブ全員と応援してくれる全ての方々の力を一つにして今シーズン沢山勝ちましょう!」とのコメントを語った[22]。 2022年9月12日に一般社団法人日本バスケットボール選手会の会長に就任した[23]。シーズン成績は59試合出場26先発。1試合平均では13.5分の出場、5.1得点、2.6アシストとレギュラー獲得に至らなかった[7]。B1昇格プレーオフでは2試合に出場、9.5分の出場、2.5得点、1.0アシストだった[7]。シーズン終了後に熊本ヴォルターズを退団した。 2023年6月22日、B2 福島ファイヤーボンズへの入団が発表された。福島ファイヤーボンズへの入団にあたって「チームの目標達成のために自分の全てを捧げます。」とのコメントを語った[24][25]。福島ファイヤーボンズではキャプテンを務めている[26]。 経歴
人物バスケットボールプレイヤーとしての特徴
その他
記録
出演テレビ番組
ギャラリー
脚注
関連項目外部リンク
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