片山博通片山 博通(かたやま ひろみち、1907年(明治40年)12月22日 - 1963年(昭和38年)3月10日)は、 シテ方観世流の能楽師[1][2]。観世流職分家八世当主片山九郎右衛門[1]。 概説京都生まれ[1]。片山九郎三郎(のちの七世片山九郎右衛門)の次男[1]。兄は二十四世観世宗家観世左近。1928年(昭和3年)、雑誌『観世』の創刊に関わる[1]。1944年(昭和19年)、家名の八世片山九郎右衛門を襲名するが、1958年(昭和33年)、博通に戻る[1]。1963年(昭和38年)3月10日に神戸市の湊川神社で「求塚」を演能中に急性くも膜下出血で急逝。妻は京舞井上流四世家元の井上八千代、子は観世流職分家九世当主片山九郎右衛門[3]。 著書
脚註出典
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