海流海流(かいりゅう)は、地球規模でおきる海水の水平方向の流れの総称。似た現象に潮汐による潮汐流があるが、潮汐流は時間の経過に伴って流れが変化し、短い周期性を持つ。海流は長時間流れる。また海の中は鉛直方向にも恒常的な流れが存在する海域があるが、その流速は非常に遅いので、通常は海流とは呼ばない。海流はその性質により、暖流と寒流の2種類に大別される。 海流が発生する原因は諸説あるが、大きく分けて表層循環と深層循環がある。これは現象に目を付けたよび方である。メカニズム的に言えば、海面での風によって起こされる摩擦運動がもとになってできる「風成循環」が表層循環、温度あるいは塩分の不均一による密度の不均一で起こる「熱塩循環」が深層循環である。この二つを総称して、海洋循環と呼ぶ。「海流」が海水の流れを重視した呼び方であるのに対して、「海洋循環」は特に地球規模での海水の巡り、循環を重視した呼び方であり、これらを使い分けることが多い。 日本語では、潮流と言った場合はふつう潮汐流のことだが、黒潮、親潮、潮境などのように「潮」を潮汐の意味でなく海流の意味で使うことも多く、また、海水浴場における遊泳上の注意など、潮汐流のことを指して「海流」と言う場合もあるので注意。このように、「潮流」と「海流」は明確な区別がつきにくい用語であるが、厳密には異なる概念である。 黒潮とメキシコ湾流を二大海流といい、これらは流量が多く、流速も速い。 海流の速さの単位はノット[1][2]。体積流量で表す場合はスベルドラップという単位が使われる。「1 スベルドラップ」は「1秒あたり1,000,000 立方メートルの体積流量」。 海流の種類暖流と寒流海水の比熱容量は大気のそれに比べ非常に大きいため、暖流・寒流は沿岸の気候や水産資源に与える影響が大きい。この定義はよく使われるが科学的な厳密さを欠く分類法であり、水温が何度以上が暖流というような定義は存在しない。周辺海域の水温との比較によるものである。
成因による分類暖流と寒流以外にも、その海流の成因による分類がある。しかし、実際の海流はただひとつの成因によるものではないので注意したい。以下に主な分類を挙げる。
期間による分類海流は同じ場所でも時間とともに変化する。これは海流の原因が場所によって異なり、さらにそれらが時間に伴って変化することを反映している。永久流や季節流にも一時流が重なり、その流れを乱すので、以下の説明で、流れの向きが変わらないというのは75パーセント程度変わらないことを言う[3]。
海流の性質表層を流れる海流の流速は海流によって様々であるが、世界の海流分布図に掲げられている海流は一昼夜に数海里から数十海里くらいの速さで流れている。海流のうちでも特に流速が速いものは黒潮、メキシコ湾流、モザンビーク海流であって、これらには一日に100海里以上も流れるところがある。一日に100海里流れる場合の平均の速さは、時速約7.7kmになる。海流の幅はたいていの場合非常に広く、200km以上あるのは珍しくない。一つの海流系では幅が広いところでは流速は遅く、幅が狭いところでは速くなる。また通常海流の両側では流速は遅く、中央部では速い。海流の厚さは場所によって非常に異なっているが、外洋では海底の深さに比べるとかなり浅く、多くは深い場合でも表面から1000mほどで、浅ければ数百m程度である。もっとも南極環流のように厚さが3000m以上の海流もある。 海底地形と海流沿岸で水深が浅いと海流は海底まで届くことになり、このようなところでは海流は海底の影響を受ける。北半球では海流が傾斜を下るときは左旋し、上るときは右旋する。また海流は水平方向だけでなく鉛直方向の流向にも影響を与える。特に海峡では水温躍層があって上下で流向が逆になっているところの影響が顕著に現れる。 海流の観測方法海流の観測方法は大きく直接測流と間接測流の二つに分類される。 直接測流直接測流とは特殊な装置、器具を実際に海洋に固定させて、あるいは浮遊させて流速を測る方法である。直接法には観測方法を考案した学者名からオイラー法がある。
オイラー法は流速計をある場所に固定して流れを測るもので、流れの強さはプロペラの回転数やトルク、板・膜にかかる水圧、ワイヤーを張った時の抵抗による傾き、ドップラー効果による音速変化などを利用して測る。
船舶に搭載されるものとしては、電磁海流計と呼ばれる地磁気と電磁誘導の法則を利用した海流計がある。1950年にアメリカで開発された。現在の海洋観測では超音波式多層流速計などにより現場で簡単に観測されている。 間接測流間接測流とは、計算などによって間接的に流速を求める方法である。古典的なものとして、航行する船舶で、航行の際の偏位から海流を測ることがある。ある地点から航行し、計算上の現在地と天測航法や電波航法によって求められた実際の現在地との差から海流の影響を求めるのである。 海流の影響気候への影響海流、とくに大きな暖流は海上の気候に影響を及ぼし、したがって陸上に住む動植物の生活にも大きな影響を及ぼす。もともと、海水は空気に比べて比熱が四倍近くあるので、水温の変化は気温を変化させやすい。たとえば北、西ヨーロッパの冬の気温が世界の同じ緯度の平均気温よりも高くなっているが、その一因として北大西洋海流の存在がよく知られている。 日本日本南岸は夏に非常に湿度が高くなるが、これは南東から吹く風が、温かい黒潮上を通過してくるときに、水蒸気を大量に取り込むことが原因である。一方、冬は季節風の北西風が吹くので、黒潮の暖気によりそれほど気温が上がるわけではないが、山脈により雪雲を遮断するため、関東以西の太平洋側地域では晴天が多く比較的温暖な地域が多い。他方、日本海には黒潮の分流である暖流の対馬海流が流れ込んでいるが、大陸から吹き出す寒気がこの暖流の上を渡るときに雲が形成され、冬季の豪雪と年間を通じての気温低下、日照時間の減少が見られる。また北海道や東北地方の太平洋側では、夏に寒流である親潮の上を吹き渡ってくるやませの影響で、冷害が発生することがある。 漁業への影響回遊魚は海流とともに泳いでくるので、三陸沖のように黒潮と親潮が接するところは南方系、北方系の両方の魚が取れ、きわめてよい漁場となっている。このように世界の主な漁場はたいてい暖流と寒流の潮境や、沿岸水と外洋水のさかいを中心に発達している。またプランクトンは海流によって種類が異なるばかりでなく、その量も著しく異なっている。プランクトンは海流によって押し出されるので、海流は魚類の分布や移動などにも大きな関係を持つ。また、世界的大漁場である南米ペルー沖では、エルニーニョのときはその海域の漁獲量が大きく減ることがわかっている。 航行への影響流れが速い海流は、船舶の航行にも影響する。昔の帆船時代には海流に対する知識が風の利用法とともに、航海術の重要な部分を占めていたが、現在のように機械力を利用する高速船の時代になっても、海流を利用するとしないとでは経済的効果に大きな差異が出てくる。現在でも、たとえば東京と沖縄の間の客船は東京から黒潮の流れに逆らって行き、流れに乗って帰ってくるので、20ノットがでる船でも行きと帰りでは数時間の差が出ることがある。 主な海流
主な海洋循環表層循環海洋表層部では、緯度ごとにいくつかの海流のまとまりが見られる。北半球の極付近など、地形の影響で地域によってはまとまりが見られないところもあるほか、湾などでは小規模な循環が見られる。基本的には、北半球の亜熱帯循環、南半球の熱帯循環、南半球の寒帯循環は時計回りで、北半球の亜寒帯循環、北半球の熱帯循環、南半球の亜熱帯循環は反時計回りに循環する。これらの大規模な循環に共通に見られるのが、大陸西岸海域において、低緯度から高緯度へ向かう流れが狭い地域に集中して流量・速度が増す「西岸強化」という現象と、大陸東岸地域で相対的にゆっくりとした流れとなる現象である。
海流調査の歴史海中に流れがあるということは古くから知られていた。8世紀に活躍したヴァイキングたちは優秀な航海者であり当然大西洋東部の海流を利用したと思われる。しかし大洋の強大な海流が見出されたのは15世紀以降、大洋の航海が盛んになってからのことであり、海流に対する知識は航海術の発達と前後して拡大されていく。1497年イタリアの船長ジョン・カボットはラブラドルに行く途中ラブラドル海流を発見した。また同年ヴァスコ・ダ・ガマはポルトガルから喜望峰を回ってモザンビーク海流に逆らって北上、翌年アフリカ東岸ザンベジ河口から南西季節風海流に乗ってインドのカリカットに到着したという記録が残っている。コロンブスの探検航海の水先案内人アラミノスは1513年メキシコ湾でメキシコ湾流の存在に気づき、この大海流に乗ってヨーロッパへ渡る最適帆船航路を発見した。1595年オランダ人ヤン・ホイフェン・ヴァン・リンスホーテンは水路誌を作成して大西洋における海流を詳説したが、これがその後100年余り航海者にとっての指針となった。1678年やはりオランダのキルヒナー(旅行家)|キルヒナーはインド洋海洋図を刊行したが、その中には西向きの赤道海流およびアガラス海流が明示されている。1688年イギリスの天文学者エドモンド・ハレーはインド洋の季節風と共に変化する表層海流を示した。また北赤道海流と南赤道海流の間に赤道反流が流れていることも明らかにした。海流の科学的調査が本格的に行われるようになったのは20世紀に入ってから、特に第二次世界大戦後である。今のところ世界中の海流の中で湾流と黒潮が最も詳しく研究されていると言えるが、いまだ海流研究において不明な点は残る。 日本日本においても、黒潮が沖縄諸島から日本南岸を流れている事実が既に12世紀には知られていたことは、平家物語中の平康頼が卒塔婆を流す記述からもうかがえるが、北太平洋全域の海流全体については知識が乏しかったと考えられる。特に寛永の鎖国以後、外洋航海が禁止されたので外洋の海流に対する知識はとだえてしまい、江戸時代の漂流船が海流に逆らって帰港しようと試み失敗して全員餓死したと思われる例がかなりあった。[4]。現在は、ソビエト連邦の崩壊に伴って、今まで政治的問題で実態調査が困難であった東樺太海流などの調査も進められている。 出典
関連項目
外部リンク日本
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