浪花節だよ人生は
「浪花節だよ人生は」(なにわぶしだよじんせいは)は日本の演歌、ポピュラー歌謡のヒット曲である。作詞は藤田まさと、作曲は四方章人。小野由紀子が最初に歌い、のちに二代目木村友衛の歌唱によって人気を得る。その後は細川たかしなど多くの歌手によりカバーされて有名になった。 概説最初は1976年(昭和51年)に小野由紀子の歌唱によりシングルのB面曲として発表された。その後、この曲の歌詞を自分の人生の引き写しのように感じたという木村友衛が藤田に直訴して1981年(昭和56年)に歌い始めると、地道なキャンペーンの努力が実り徐々に人気を獲得するようになった[1]。これを受けて歌手16人[2]、レコード会社13社[3]による競作としてレコードが制作され、1984年(昭和59年)にその人気は最高潮に達した。同年大晦日の第26回日本レコード大賞では細川たかしが最優秀歌唱賞、木村が特別賞を受賞し、同日の第35回NHK紅白歌合戦では水前寺清子と細川による同曲対決が行われた。 小野盤の発売から10年で、各社競作で発売されたレコードの累計売上は140万枚(公称)に達した[4]。 多くのカヴァーが存在し、台湾をはじめとする中国語圏でも親しまれている。 1985年(昭和60年)度の日本音楽著作権協会(JASRAC)発表による楽曲別の著作権使用料分配額(国内部門)では年間1位にランクインされ、1986年JASRAC賞の国内部門を受賞した[4]。内訳はレコード売上が8.4%、放送使用料が11.9%、社交場における演奏使用料が9.6%、カラオケテープの使用料が62.3%である[4]。 2009年に加藤清史郎らがこの歌のタイトルにヒントを得た[5]「かつおぶしだよ人生は」を歌った[6]。「かつおぶしだよ人生は」は猫の視点で義理人情を浪花節風に歌った曲で[5]、本曲とは歌詞やメロディは異なる。 なお、清水アキラが村田英雄のモノマネ芸を披露する際にこの曲を使用しているが、この曲は村田のレパートリーではない。 競作歌手台湾・香港・中国・マレーシアでのカバー「浪花節人生」として「望月想愛人」として(台湾語・福建語)「愛與情」として (広東語)カバー
脚注
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